「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

第三次中東戦争から50年 アラブの亀裂

2017-06-06 05:20:19 | 2012・1・1
すっかり忘れてしまっていたが、新聞の「今週の予定」欄に”第三次中東戦争から50年”とあった。1967年6月5日、イスラエルがエジプト、ヨルダン、シリアの隣接アラブ3か国に侵攻したが、一方的にアラブ側は敗退、戦争は6日間で終った。このことから「6日間戦争」とも呼ばれているが、当時、僕は新聞社の外信部デスクをしており、系列のテレビ局の特別番組に出演したことを想い出した。

”あれから半世紀か”と時の流れの速さに感慨していたら、「6日間戦争」の当事国であった、エジプト、ヨルダンにサウジアラビア、UAE(アラブ首長連邦)バーレーン、イエメン7か国が、同じアラブ国のカタールと外交を断絶したという。理由はカタールがIS(イスラム国)など過激派を支援しているからだという。カタールはUAEやバーレーンと同じ湾岸の小国だが、ISに対しては米国主唱の「有志連合」の一国で国内に米国空軍基地もあるはずだが、よく解らない。

「6日間戦争」前のアラブ世界は、1956年の第二次中東戦争(スエズ戦争)の結果、当時のナセル.エジプト大統領の威信があがり、シリアのバース党(アラブ復興社会党)との連携で「アラブ連合共和国」(UAR)が成立、一時はイエメンもこれに参加、汎アラブ主義が吹いていた。しかし、「6日間戦争」のアラブ側の一方的な敗北で”アラブは一つ”というナセリズムはいっきにしぼんでしまった。

エジプト、サウジアラビアといえば、アラブの大国である。この大国が同じアラブのカタールと国交を断絶するなど昔は考えられなかった。断絶の背景には,カタールが国家資源である天然ガスをめぐってアラブと対立関係が深いイランと融和的であり、サウジアラビアのスンニ派に対して、シーア派のイランがイエメンなどの内乱を助長している、ということらしい。アラブの統一は難しい。亀裂がこれ以上深まらなければよいが。