将棋が今、ブームだそうである。中学生棋士、藤井聡太四段が18連勝と過去の最高記録にならび、これからどこまで勝ち続けるかという期待もある。町の将棋スクール(僕には道場のほうがふさわしが)第二の藤井棋士を目指して入門が増え、将棋駒や将棋盤などの関連グッズの売れ行きも好調だという。IT時代には一見ふさわしくない、この現象面白い。
僕が最後に将棋を指したのはいつだっただろうか。少なくと社会人になってからはない。半世紀以上は駒に触れたことはない。しかし、子供だった戦前昭和だった頃は、わが家にも安物ながら駒もあり、将棋盤ではなく将棋板があった。東京では、たいがいどこの家にもあった気がするが。子供たちは”本将棋”もしたが、むしろ“挟み将棋”とか”周り将棋”などの遊びに興じた。同時代に長野で少女時代を送った老妻は、板上に駒を積み、そのヤマを一つずつ取り出す”ガッタン将棋”をしたことがあるという。
縁台将棋も遠い記憶にある。夏の夕暮れ、玄関先の竹の縁台に腰かけ、手にしたウチワで足元の蚊を追い払いながら将棋を指していた姿が今でも目に浮かぶ。駅前の盛り場では、”詰め将棋”に大勢の人盛りがしていた。子供たちの間では”軍人将棋”も遊ばれた。国防色の粗製の駒で、大将、中将といった兵隊の位や飛行機、タンク、地雷、工兵などの駒があり、飛行機はタンクに勝ち、地雷は工兵に負けるなどにルールがあったが、忘れてしまった。
ネット時代になって、囲碁将棋、トランプ、麻雀など、室内で人間同士が顏をあわせて遊ぶ競技がすたれてきたといわれていうが、やはり人間社会では、こういった遊びも必要かもしれない。とくに子供の成長過程では、そんな感じがする。
僕が最後に将棋を指したのはいつだっただろうか。少なくと社会人になってからはない。半世紀以上は駒に触れたことはない。しかし、子供だった戦前昭和だった頃は、わが家にも安物ながら駒もあり、将棋盤ではなく将棋板があった。東京では、たいがいどこの家にもあった気がするが。子供たちは”本将棋”もしたが、むしろ“挟み将棋”とか”周り将棋”などの遊びに興じた。同時代に長野で少女時代を送った老妻は、板上に駒を積み、そのヤマを一つずつ取り出す”ガッタン将棋”をしたことがあるという。
縁台将棋も遠い記憶にある。夏の夕暮れ、玄関先の竹の縁台に腰かけ、手にしたウチワで足元の蚊を追い払いながら将棋を指していた姿が今でも目に浮かぶ。駅前の盛り場では、”詰め将棋”に大勢の人盛りがしていた。子供たちの間では”軍人将棋”も遊ばれた。国防色の粗製の駒で、大将、中将といった兵隊の位や飛行機、タンク、地雷、工兵などの駒があり、飛行機はタンクに勝ち、地雷は工兵に負けるなどにルールがあったが、忘れてしまった。
ネット時代になって、囲碁将棋、トランプ、麻雀など、室内で人間同士が顏をあわせて遊ぶ競技がすたれてきたといわれていうが、やはり人間社会では、こういった遊びも必要かもしれない。とくに子供の成長過程では、そんな感じがする。