「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

新聞週間の標語は「フェイクは”見分ける”ではなく”書くな”」ではないか!?

2017-10-17 05:39:39 | 2012・1・1
10月15日から1週間、恒例の新聞週間が行われているが、今年は選挙期間中のこともあってかいまひとつ盛り上がりがない。今年新聞協会が選んだ標語は「見分けるフェイク 知るファクトは」だが、ヘソ曲りの僕には、フェイクを”見分ける”という表現は少しおかしい気がする。フェイク(fake)は、英語で”にせ”とか”インチキ”といった意味で、トランプ米大統領がツィートで頻用して以来、日本でも馴染のカタカナ英語になったが、僕に言わせれば、フェイクは読者が”見分ける“ものではなく、書く新聞側の責任である。

購読している産經新聞の”国難を問う衆院選”という連載特集記事の中で、論説委員氏が署名入りで、先の衆院選挙前に日本記者クラブが主催した記者会見での安倍総理に対する朝日、毎日両新聞記者の質問姿勢を実名をあげて”不都合な真実に蓋(ふた)”(記事の見出し)と厳しく批判していた。僕もテレビで、この記者会見を見ていたが、確かに一方の側には偏していたが、産経が”戦後メディアの汚点”というほどには感じなかった。

新聞がマスコミの王座から転落して久しい。最近も各社の読者離れが止らないらしい。そのため、新聞が色々と紙面に工夫と対応策を講じているのは理解できる。しかし、この産經記事のように、他社の記事や報道姿勢に対して、正面きってイチャモンをつけることはなかった。読者は新聞社間の論点の違いを求めているのではない。ファクト(真実)を知りたいのである。読者にフェイクを見分けよという前にフェイクを書かないよう自制すべきである。