「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

停電続き70年前の長雨のころ

2017-10-19 06:29:11 | 2012・1・1
東京は昨日、6日ぶりに晴れ間をみたが、今日(19日)はまた雨である。昔から”秋の長雨”という言葉は聞いたことがあったが、あまり実感はなかった。やはり、加齢による身体の衰えからなのだろう。足の悪い僕はこの長雨の晴れ間を見て、杖をつき、選挙の期日前投票を済ませ、老妻はさらに、そのうえ内科と整形の病院を”はしご”通院してきた。

昔はどうだったのか。亡父の70年前(昭和22年)の日記帳を読み直してみたら、やはり神嘗祭(17日)前後は毎日、雨が降り続いていた。僕はこの日記の記述から、忘れかけていた神嘗祭(戦後も休日だった)の日に奥多摩へ行き、大雨にあい遭難しかけたことをを想い出した。父の日記には僕が夜8時過ぎ、ずぶぬれになって帰宅、”風邪気味だという。困ったものだ”と書いてあった。。

戦後2年経過したが、昭和22年はまだ暗い時代であった。父の日記には丹念にも停電のあった日を赤字で「停電」と書いているが、連日夜7時頃から9時過ぎまで停電で、一家はロウソクの暗い灯りの下で内職をしていた。父は当時、63歳であったが、今と違って年金はなく、老後に備えて建てた家作も物価統制令で家賃の値上げが出来ず、一家は町工場からの下請けで手動のプレス機を動かして僅かな収入を得ていた。ロウソクの灯りの下でのガチャンというプレス機の音がまだ耳に残っている。

選挙も終盤に入ったが、家に閉じこもりがちな老人の耳には熱戦が聞こえてこない。アベノミクスで果たして景気がよくなったのか。と、いってもその実感がないのではないか。与野党間の論戦の一つになっているが、70年前に比べれば”月にスッポン”恵まれた時代である。あのころは夜なべに袋貼りをしていた家庭が多かった。