スマトラ最北端アチェの山岳地帯ガヨ高原への入口の町である。明治末から大正にかけての対オランダ.ゲリラ戦争の際は兵站基地であった。1996年、筆者はその当時、町で写真店を開きながらゲリラ軍の参謀をしていた山形県鶴岡出身の伴元彦㋨足跡を求めて旅をした。
元鶴岡藩士の伴元彦はガヨ高原に立ち籠る首領、パンマナムの参謀として活躍したが、パンマナムが戦死したため帰国したが、今でも伴の名前は現地に残っている。ビルエンには昔はメダンからバンダルアチェまで簡易鉄道で結ばれ、先の戦争中は近衛歩兵4連隊の司令部が置かれ、軍靴で賑わっていた。