「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

のぞき見の海外旅行(1)シンガポール(1)タンジョン.カトン

2020-09-14 05:49:44 | 2012・1・1

人生百年時代というが、卆寿90歳のお祝を頂くと、さすがに最終コーナーを回った感じだ。過ぎし来し方が懐かしく想い出されてくる。なかでも仕事で、遊びで旅した海外の国々が覗き見ながら忘れられない。20年ほど前、仕事の現役を去った頃、一度アメブロでで「1000都物語」と題して、僕の海外旅行記を書いたことがるが、再び追記.リライトして「のぞき見の海外」としてまとめてみた。その第1回がシンガポールで、その第1回が取材でいつも宿をとったタンジョン.カトン。

「タンジョン.カトン(タンジョンは崎、カトンは亀、亀ヶ崎とでも称せられるのか)の風景は、ジョホールの名所絵葉書ののおざなりだ。椰子の葉越しの月、水上家屋、カヌー、誰でもが,センチメンタルになる」と昭和3年、この地を訪れた詩人の金子光晴は自著「マレー蘭印紀行」の中で書いている。金子光晴だけではない。戦前、南への雄飛の夢をかけてシンガポールに渡った日本人は一夜をこの地に宿した人が多かった。

筆者が初めてシンガポールを訪れたのは1966年3月だが、開発以前で市内には今のような超高層ビルは一つもなかった。残念ながらセンチメンタルを求めてタンジョン.カトンへは出かけなかった。しかし、その後シンガポールでは大規模の埋め立て工事が行われ街の様相が一変した。タンジョン,,カトンの名前は残っているが、旅人には金子光晴時代のそれは特定できない。

筆者の長年のホテルはMRT東線のlaya leber駅の近くにあったが、住所はタンジョン.カトン通りであった。海岸線からは遠く離れていたがなんとはなく昔のセンチメンタルを感じた。事実、ホテルの近くにはマレー系住民の博物館やホーカー.センターもあり昔のシンガポールがあった。しかし、2012年、再訪のさいホテルは撤去されてなかった。