シンガポールの最高峰ブキティマ(bukit timah)は名前の通り、かってはtimah(錫)を採掘したbukit(丘)であった。今は政府の自然保護区になっているが大東亜戦争の緒戦(昭和17年2月)この地で島の最後の攻防をかけて、わが軍(山下奉文司令官)と英国軍(パーシバル司令官)との間に激戦が展開された。結局、白旗を掲げたパーシバル将軍は山下将軍の”イエスかノーに屈している。
その降伏式は当時ブキティマにあったフォード自動車工場で行われたが、今その跡は戦争博物館になっていて、日本ではみられない資料もみることができる。この”イエスかノー”の場面は藤田嗣治の戦争画によって描かれ、観光地セントーサ島にもパノラマで展示されている。
シンガポールにはコロナ禍以前には年間83万人もの日本人観光客が訪れているが、どれだけの人がブキティマを知っているだろうか。この戦いで10万人の英国兵が捕虜になっている。輝かしい戦いであった。