ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

カンボジアで「飲める水道水」を実現、北九州市水道局

2014年05月26日 | 政治
 
カンボジアで「飲める水道水」を実現したのは北九州市水道局
NEWS ポストセブン 5月22日(木)16時6分配信


 中国が南シナ海で示威行動をエスカレートさせていることにアジア諸国の懸念が高まっているが、その一方で日本への信頼は高まっている。

 アジアの貧困地帯の一つでもあるカンボジアには、悲惨な歴史がある。長い内乱期を経た1975年にポル・ポトが実権を握ると、たった3年間で200万人が虐殺されたのだ。ポル・ポトの失脚後も、国内には地雷が多数残された。

 そこへかけつけたのが日本だ。自衛隊が地雷撤去をする傍ら、日本政府の無償援助によって、橋をかけるなどの道路整備を進めた。

 なかでも、トンレサップ河に架けられた橋は有名だ。カンボジアの1000リエル札にも印刷されている。名前は「日本カンボジア友好橋」。もともとこの橋は、日本の支援で1960年代につくられたが、ポル・ポトによって破壊された。それが1990年代に入ってからまたも日本の力で復活したのだ。

 カンボジアの人々は日本人に対して、並々ならぬ敬意を示す。それは、日本には、戦争という悲劇から立ち直って急速に発展したという経験があるからだ。一般社団法人アジア支援機構代表理事として、アジアの貧困地帯の支援を行なう池間哲郎氏は「日本は、私たちの見本であり、希望です」と言われたという。

 首都プノンペンでは、水道水が飲める。これは、衛生環境が整備されていない東南アジアでは、極めて珍しい。これを実現したのは、北九州市の水道局である。地方都市の一部門が、上水道の普及に一役買っているのだ。北九州市は水道のほか、ゴミの処理など生活に関わるインフラの輸出に積極的だ。

 インドネシアのスラバヤにも北九州市は進出している。そのスラバヤでよく聞かれるのが「大切なことはすべてタカクラに学んだ」という言葉だ。

 タカクラとは、北九州市の依頼でスラバヤに渡った技術者・高倉弘二氏のことだ。家庭から出る生ゴミを堆肥にする「高倉式コンポスト」の開発者。高倉氏自身が一戸一戸を訪ね歩き、普及に努めたこともあり、スラバヤ市内の約3万世帯に普及し、生ゴミの量が激減。人々の環境への意識も高まったという。


★ うれしいニュースですね。カンボジアは親中だったのですが、今はそうではなくなってきていると読みました。
  水道水が飲めるという国は少ないのです。
  地方都市である北九州市は素晴らしい国際親善をしたのです。
  心から敬意を表します。技術者の高倉弘二氏をはじめ、北九州市の努力、日本の誇りです。



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【中国脅威論】人民解放軍とウイグル情勢の緊迫、加速する邦人の脱中国[桜H26/5/26]

2014年05月26日 | 政治

【中国脅威論】人民解放軍とウイグル情勢の緊迫、加速する邦人の脱中国[桜H26/5/26]

3日間に亘って、ロシアと共同で行われた中国軍の軍事演習。これを公海上から情報収集­していた自衛隊機に対し、中国軍のsu-27戦闘機が常識はずれの近距離まで接近して­威嚇・挑発を行った。
海南島近辺で、アメリカ軍の電子偵察機と中国軍の戦闘機が­衝突した事件が発生しているが、今回の中国軍機の行動はこれを再現しかねないものであ­り、また中南海が人民解放軍を統制できていない可能性を改めて示してもいる。
南シナ海­で見られるように他国の領域を侵すだけでなく、公海・公空をも自分ルールを主張して憚­らない中国の勘違いと、不安定化するウイグル情勢、そろそろ本格化してきたな邦人の「­脱中国」の動きなどについてお伝えしていきます。(動画の解説)

★ 恥を知らぬ中国の態度

「自衛隊機を撃墜しないだけでも我慢している」、異常接近に中国軍少将がコメント―台湾紙
Record China 5月26日(月)15時9分配信

2014年5月25日、台湾紙・蘋果日報によると、飛行中の自衛隊機に中国軍の戦闘機が異常接近したことについて、北京軍事科学院研究員でもある中国人民解放軍の羅援(ルオ・ユエン)少将は「中ロ軍事演習は外交ルートを通じてあらかじめ伝えており、国際的な慣例でも当該空域は飛行禁止になるが、日本の偵察機は明らかに禁止空域を飛行していた」とし、「撃墜しなかっただけでも、中国は十分我慢している」と述べた。

記事によると、24日午前11時ごろ、海上自衛隊のOP-3C偵察機が中ロ合同軍事演習の行われている海域の上空を偵察飛行し、12時ごろにはYS-11EB電子偵察機が演習区域上空を偵察飛行した。防衛省は日本の偵察機が空対空ミサイルを搭載した中国空軍のSu-27戦闘機2機に進路を遮られ、1機がOP-3Cから距離50メートルにまで接近、YS-11EBには距離30メートルにまで接近され、中国の戦闘機が日本の自衛隊機に100メートル以内にまで接近したのはこれが初であるとしている。

日本は中国の戦闘機の行為を「異常接近」だとし、「危険な行為」として中国政府に抗議。当該空域は日本と中国の防空識別圏(ADIZ)が重なる空域だった。中国国防部は日本が演習空域に侵入したことは誤解を生じさせるものであり、突発的な事故を招くものだと指摘。日本側が国際法違反と国際的なルールを無視したものとして、日本に厳しく取り締まるよう緊急要請した。(翻訳・編集/岡田)

★ 羅援少将はチャイナ国内でもツイッターでからかわれるなど、あまり信用されていない。ビッグマウスとして有名だが、日本としては中国の姿勢は強く抗議して国際的にもこのデタラメをハッキリ伝えるべきと思う。

アメリカは中国が今までと違うと報道しているが、これからもこういう中国からの危険な
挑発に日本は毅然たる対応をとるしかない。

もうすぐ「天安門の日」である。世界中で中国共産党の非が明らかになる。
この羅援氏が出てくると、中国の人もガクッとなるのではないだろうか。

習近平は国内で狙われているらしいし、人民解放軍は爆弾や武器うをイスラムに横流し。
変な暴発もありうる。
ロシアのプーチン大統領の今秋来日の予定は変わらない。


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宮崎正弘先生の「辛口コラム」を読んで衝撃、西部邁氏の著作 ・ 他にショパン「ピアノソナタ」第2番

2014年05月26日 | 読書

西部邁先生の動画や本で、遅ればせながら勉強をしているが、宮崎正弘先生の書評を読んで驚いた。
このごろ「西部先生、どうか長生きして」って願っていたから。

★ では、宮崎正弘先生の「辛口コラム」より


西部邁著 『妻と僕 寓話と化す我らの死』(飛鳥新社)

 重症のガンに侵された西部夫人は余命幾ばくもない、と衝撃を率直に書き出される。
 二人で歩んだ半世紀近い人生を西部さんは淡々と振り返りながら、この書は不思議な澄明さと静けさで全体が貫かれている。
 看病を続けながら人生を夫婦を愛情を孤独を名誉を哲学し、思想家・西部遭の饒舌的思索は片時もやまない。

 夫に先立たれた妻の回想録はこの世にあまたあって涙を誘う。石原裕次郎夫人、吉行淳之介「夫人」などなど。いかに愛されて幸福だったか。最後まで渾身の看病をして悲しみにひるまずに看取ったか。出色の例外は金美齢さんの夫(周英明)との台湾独立闘争記録。
 妻に先立たれた夫のほうの回想録は少ないが、それでも江藤淳、城山三郎、田原総一郎らが書いた。いずれも率直に言って女々しくもあり、愛情物語の域を出ない。
 だが、まだ妻に先立たれないうちに、死を思想的論争に位置づけて、夫婦の像をえがくのは西部氏がはじめてではないのか。

「身体の命運がぎりぎりまでくると、生き延び方といい死に方といい、自分で選び取るほかありません。人生は一回で、また人生は死の瞬間まで、つまるところは自分のものだからです。(抗ガン剤治療を忌避したのは)危機にあって心身を支えてくれるのは、根本主義だ、つまり自分の考え方の原則をつらぬくことだ、というのがM(妻のこと、作中ではMで登場)と僕との共通意見」だった。

 そして夫婦に関してこんな風に西部さんは考える。
「男女関係は、なんと脆い基盤の上に、なんと儚い動機に基づいて、なんと粘り強い努力で作り上げられていく、なんと堅牢な構築物であることか、夫婦とはなんとみごとな砂上楼閣なのか、と笑い出したくなる」。

 わたしが初めて西部遭氏と会ったのは二十年近く前だった。中川八洋氏が主宰する勉強会に西部氏が講師としてあらわれ、難しい講話が終わってから六本木のビアホールでビールを相当量飲んだ。中川氏はソフトドリンクを飲んでいた。
 何を話したかは綺麗さっぱり忘れている。
 それから「ラジオ日本」の南丘喜八郎氏が共通する番組を持っていて、その関わりで時折、飲み会があった。佐藤欣子さんらもメンバーだった。幼年時代の貧困について議論した。わたしが「吉野作造賞受賞にろくな作品はない」と酔った勢いで言うと、西部さんが「僕も受賞者だけど。。。」ときには『宝石』に氏が連載していた頃の編集担当の神戸さんが小生の担当でもあり、新宿へ一緒に出かけてカラオケに興じたり、もちろん『発言者』の創刊パーティには招かれ参じており、しばらく雑誌を購読していた。「宮崎さん、なにか書いて下さい」が口癖だった。

 三島研究会の公開講座にも講師としてきて頂いた。その記録を調べると平成八年五月のことで、演題は「三島由紀夫の思想的可能性」。この頃の西部さんの三島評価は低かった。ということは自死に否定的ではなかったか。そのあと十五人ほど連れだって、六本木の中国飯店に行っておおいに騒いだ。

 途中、七年ほどブランクがあった。
 なぜなら、たとえば教科書をつくる会、救う会、靖国、台湾問題そのほか、多くの保守陣営の会合やパーティ、シンポジウムでまったく氏を見かけなくなったのである。
 『発言者』の議論が難しくてついて行けなくなったこともあるが、氏の議論が浮世離れしていて、当時わたしの追求していた分野から離れつつあったという個人的理由もあった。
 というわけで数年の不通期間があったが、ある冬の日、『表現者』の座談会に呼ばれた。
 テーマは中国で、富岡幸一郎氏らも加わって久闊をあたためた。

レトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人

 この間、教科書、米軍、安保そのほか、西部氏はやたらと仲間内に喧嘩を売っていたのだった。
 この回想をこういう比喩で書いている。
「孤独は、その時代なり社会なり場所なりを支配している雰囲気から逃亡するときに生じる感情なのでしょう。あるいは、それと闘って(案の定)、破れたときに生まれる感情なのでしょう。いずれにせよ、孤独を自覚するのは人間の輝かしい特権と言わなければなりません。人間だけが、己の言動に意味を見いだそうと努め、その意味を表現し、伝達し、蓄積し、そして尺度するだけのことに未充足を覚える」

 西部氏はレトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人である。その後、偶然がいくつも重なって桜チャンネルの討論番組にでると、三回ほど連続してお目にかかり、録画の収録が終わってお茶をのんだりした。いや、氏はビールだった。直近は正論大賞の会がはねて「正論新風賞」受賞の新保裕司氏を囲む二次会。これは西部さんが事実上の主催者で三、四十人の編集者が中心だった。例によって新宿のピアノのおいてあるスナック。なぜか私と西部氏と二人して、「海ゆかば」を唱った。

 西部さんの書いているモノは基底にニヒリズムがある。十年ほど前に産経新聞に連載された仏教と死生観をめぐる随筆を読んだときに、わたしは不思議な感傷と抱いた。ずばり自死へのさりげない決意が随所で示唆されていたからである。
 そして本書は、このテーマが基底に沈んでいながらも、結局は自死にまつわる思考に収斂されていく。人生を締めくくる方法に関しての思索である。

 こういう箇所が否応なく、わたしの目に飛び込んでくる。
「この『平和』の日本国家あるいは『安全と生存』の日本列島では、『死の選択』という最も人間らしい行為が精神の病理現象として片付けられはじめ、(中略)逆らって僕は、自然死への人生行路にあっても、自分の思想が必要だと考えてきました。簡略に言うと、『これ以上に延命すると、他者(とくに自分の家族たち)に与える損害が、その便益を、はっきりと上回る』と予想されるようになれば、自死を選ぶということです」。

 そういえば、十年以上前だが、氏と会う毎に自死に関してつぶやくように言っていた。ピストルとか、麻薬とか物騒な話をさりげなく話のなかに挿入していて、わたしは全てをレトリックの魔術だろう、と憶測して本気に取らなかった。

 本書はレトリックの魔術師が思う存分の哲学的修飾を施して、いざ本質をはぐらかしているかにも見えるが、現代日本へのアンチテーゼである。日本の政治家は死から逃亡し、まつりごとは自死と対極の補償とシステムだけを論じている。日本の衰弱の原因の大きな要素は、おそらくこれだろう。

 自分の人生を自分の意思で終結させる。人間は本能によって生き延びる。だが、老醜をさらし周囲に迷惑を狼狽をかけるかもしれない自然死に対して、自死の思想があり得ると西部氏は語彙に力を籠めて現代日本人に問いかけているのである。 (以上、宮崎正弘氏)


★ 西部先生ご自身、ガンを患っておられることは知っていた。
  私は「日本の知性」たる西部先生を西田昌司先生のお話で知った。
  西田昌司先生の講演会で3冊の古い本を買って難しくて放置したままだった。
  西部先生・佐伯啓思京大教授・西田昌司氏3人の討論だった。

  私は別に読みやすいと思われる佐伯先生の本を何冊か買った。
  ワーグナーやリヒアルト・シュトラウスを勉強した時、ドイツの哲人のことも少しは知っていたが、
  佐伯先生の本は日本が軸になっていた。

  そこで西部先生の本を読むことになった。難しくてわかりにくかったけれど動画で西部先生の声でお話をきくと
  その驚異の表現・解釈にいつのまにか翻弄され、魅了されていた。
  再び本を買うことにして、今はほとんどを持っている。
  難しいので少しづつしか進まない。

  動画は楽しみだった。
  『西部ゼミナール』は古いのも見ることにしていた。ブログも自分の勉強と思ってUPしていた。
  講演会の動画は感動的だった。

  西部先生の本のあとがきに、可愛がっていらっしゃる中野剛司先生が見事な文をお書きになっていた。
  沢村修治先生もあとがきをお書きになっていた。

  また、西部先生は高校時代に知り合った夫人について、このようにおかきになっていた。
  「少なくとも自分のかたわらですでに7年にわたって癌病と付き合って生き長らえてくれている妻のそれと比べると
   私の死生の重みは語るに値しない」

  3月に夫人がお亡くなりになってからも、西部先生は『西部ゼミナール』をはじめ、水島さんの「討論」にも先月出演。
  しかし、その直後、水島さんは西部先生の名を挙げ「テロ」について、私には西部先生への誤解としか思えない発言を
  され、西部先生が偶然に?次の「討論」を欠席されたのを大変残念に思っていた。

  無知無学な私だけれど、西部先生の動画や本で、少しでも勉強したい。



ホロヴィッツが弾くショパン「ピアノ・ソナタ 第2番」
Vladimir Horowitz - Chopin Piano Sonata No. 2

・・・アメリカ、ホワイトハウスにて。第3楽章は「葬送」と言われているが、これは個人でなくてポーランド亡国という
「国家」の葬送であった。愛国者ショパンの最高作品のひとつである。
ホロヴィッツは旧ソ連からアメリカへ亡命、指揮者トスカニーニの娘はホロヴィッツ夫人。

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宮崎正弘先生のメルマガ2通届く・・・「中国」と「ヨーロッパで保守躍進」

2014年05月26日 | 政治

★ 気になっていた海外ニュースの解説が宮崎正弘先生から2通届いたのでお知らせします。
  では「中国」がしてきた、世界の中国人の動向を知り、コントロールしている実態と何もしていない日本のことを。
  


 けっきょくベトナムから逃げ帰った中国人は七千人
チャーター機は三機、大型旅客船やフェリーなど五隻の艦船でエクソダス(大量国外脱出)作戦


 五月半ばに突発的におきたベトナムの反中国暴動は、大量の中国人を脱出させる結末となったが、合計7000名が駐越中国大使館のアレンジで取った行動であることが判明した。

1、 大使館が指導する組織動員は、北京五輪前の聖火リレー長野で、動員された中国人の狼藉をみた。
  あの日、長野は五星紅旗で覆い尽くされ、反対にでかけていった日本人と衝突を繰り返した。
  中国人の暴力は不問に付された。

2、また東日本大震災のとき、およそ18万人の中国人が逃げ帰った様を、われわれわれは目撃した。
大使館のアレンジで、一斉に逃亡するということは日頃から、そういうマニュアルが存在していることを意味する。むしろ不気味である。

3、在日中国人の動向をつねに大使館の或る部門が把握し、携帯電話の番号もちゃんと統括しているからこそ出来る「芸当」だからである。カダフィ政権崩壊後のリビアから合計36000名の中国人が世紀の大脱走を演じたように。

 日本は、率直に言ってこのポイントを重視する必要がある。
 なぜならイラン・イラク戦争のおり、テヘラン空港に取り残された在留邦人に、日本政府は何をしたか? 見かねてトルコ航空機が助けにきてくれたではないか。
 湾岸戦争前夜、バグダットに取り残された在留邦人に日本航空は救援機を飛ばすことを拒否した。けっきょく誰が助けてくれたのか。
台湾のエバ・エアーだったではないか。中国でおきた反日暴動でも、在留邦人はばらばらに帰国した。


 さてベトナムからのエクソダス作戦はどのように展開されたか?

 駐越中国大使館は5月16日に特別チームを編成した。
 5月17日にはやくもチャーター機が二機、ハノイへ飛んだ。三千人は、この日までに陸路あるいは独自のフライト予約でベトナムから逃げ出したが、チャーター機二機は四川省成都へ飛んでおもに負傷者、重傷者を運んだ。重軽傷は307名で中国南方航空が飛来した。

 五月19日までには海南島海口港を出港した大型客船、フェリーは5月20日に合計3553人を収容した。「五指山号」「銅鼓号」「紫刑号」「白石号」の四隻は大型客船で、ベトナム永安港から海口港へと運んだ。
海南省海口市では120の緊急病院が受け入れ準備をしていたという。

   
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声) 24日夜の桜チャンネルで「安倍政権日本外交」について宮崎さんも出席されたパネルディスカッションを最初から最後まで見ました。なかでも印象的だったのは、グローバリズムvsナショナリズムと世界的構造変化とリベラルなマスコミの間違った分析で、馬淵元ウクライナ大使の発言をうけて、宮崎さんが解説されていましたが、要するに世界の左翼マスコミが敵視するのはプーチン、その脈絡に繋がるのがインド、トルコそして安倍首相だと、宮崎さんの指摘。すこし飛躍があるようですが、この点をすこし、ご説明願えたらとおもいます。
  (HI生、茨城)


宮崎正弘のコメント)ウォールストリートに巣くうグローバリズム、国境をなくせばカネの流れが自由になり、自らの商売がもっと反映するという動機から主張しています。
TPPは、この発想であり、為替の変動相場もそうですね。
しかしアメリカにおいてすら、グローバリズムは一部の思想で南部へいけば保護貿易主義や敬虔なキリスト教徒が多く、かれらはオバマ政権を批判し、また共和党のティパーティは日本で言えば「維新の会」に似ています。フランスでもルペンの国民戦線が第一党になりました。
 要は欧米のマスコミ主流が左翼リベラルに乗っ取られており、かれらが敵対する思想がナショナリズムですから、プーチンは悪魔、ヒンズー至上主義のモディ(インド新首相)は危険人物。トルコのエルドガンは非民主的政治家などとレッテルを貼る。この一連の発想から安倍首相は右翼軍国主義的なナショナリストだから危険だという短絡的誤謬に陥っているわけですね。

★ 上記の「安倍政権日本外交」の討論の動画はhttp://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/18be602867a7f7ff7dc08d030e9ae05bでUPしておりますので、ご参考にどうぞ。

★ では「ヨーロッパ」の情勢を。



この日、「ヨーロッパが右旋回した日」と後世の歴史家は書くだろう
  英国でも保守新党が第一党に躍進、フランスではオランド与党、第三位に転落


 まるで「地震に遭遇したかのようだ」と英国メディアが目を丸くして伝えた。
予想だにしなかった結果となったのだ。25日に行われたEU議会選挙で、EU懐疑派がつぎつぎと勝利し、既成政党を脅かした
「欧州は右に旋回した」(英紙インデペンデント、5月26日)

ドイツでさえ、「ドイツのための二者択一党」というやや中道保守の新党が7%を獲得して初めて議席をえるなど番狂わせが各国で起こった。

まず最大の衝撃は英国である。
地方選挙ならまだしも全国的な選挙で結成間もない新党(UKIP)が、第一党に躍進し保守、労働の既成政党をひっくり返した。
Uキップ(UKIP)がトップ、既成二大政党についで「緑の党」が四位、リベラルデモクラット党(リブデモ)は五位に転落しEU議会での議席を失った。

 Ukipは29・2%、労働党は24・5%,保守党が23・5% 極左「緑の党」は7・6% リブデモは6・9%で党首さえ落選。

 フランスではルペンの「国民戦線」が26%の得票を獲得し、移民排斥、EU反対の声がいかに国民の支持を拡大しているかを如実に物語った。オランド大統領が率いるフランス社会党は三位に転落し、左翼の凋落ぶりを改めて示した。

 ベルギーでは右派政党が三分の一の得票、オーストリアでも五分の一獲得した模様である。
またデンマークとオランダでも移民排斥を訴えた右派が第2党となった。

こうした右派、ナショナリスト政党の大躍進は移民による失業が潜在的に大きな理由である。
ただし右派が各国で大幅に躍進したとはいえ、過半数には遠く、全体を俯瞰するとまだEU賛成、移民融和の政党がかろうじて過半を抑えると予測される。

★ ヨーロッパは保守がめざましい快進撃、日本は「外国人労働者」など、実質上の移民政策、そしてグローバル新自由主義を
  すすめようとしています。
  ヨーロッパ各国の動きは当然のこととして受け止められ、支持されているようです。
  日本もそうなるでしょう。
  また、日本は「慰安婦問題」でも、嘘・捏造をはねかえせないのです。民間防衛のすること、ではない。
  日本政府、頑張ってほしい。国民の声をもっと出していかないと。
  ヨーロッパの動きはそうした国民の声が広まったのです。

  日本は「政商の傀儡政権」とならないように、そして日本のための日本の政治を!!


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ホロヴィッツの歴史的名演、リスト作曲「コンソレーション(なぐさめ)」3番

2014年05月26日 | 器楽曲

Horowitz plays Liszt Consolation No. 3


★ 西部先生だったら、「ゼミナール」で仰ったように、きっと老ピアニストの経験豊かな演奏の「経験」を「経」という字になさるのでしょう。
  
「経験」とは危を乗り越えたもの、
  リストもホロヴィッツも・・・そして人生の先輩であるご年配の方々、
  またこれからの若い方々も、きっと。

  真のヴィルトゥオーゾ、巨匠の演奏に心をゆだねてリラックスしてしまいます。


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