その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

シェイクスピア(福田恒存 訳) 『アントニーとクレオパトラ』 (新潮文庫)

2010-12-24 23:17:10 | 
 ロイヤルシェイクスピアカンパニーによる本劇を観に行くので、事前の予習として読んだ。ロンドンのピカデリーサーカス近くの古本屋で幸運にも発見。

 シェイクスピアは普段、小田島訳を読んでいるが、今回は初めて福田恒存訳。訳のせいか、作品そのもののせいかはわからないが、リズム感よりも正確性を重視した文章に感じた。

 シェイクスピアの他作品と比べると言葉遊びや参りましたという感心する表現は少ない。一方で、アントニーとクレオパトラの大人の恋愛の心理戦は面白く、紆余曲折を経ながらも最終的に死という形で完結する二人の恋愛物語は読みごたえがある。

 その中で、アントニーの死後、シーザーの軍の手にかかろうとする際の、クレオパトラの台詞は感動的。

「私は夢を観ていたのだ、アントニーという帝王がいた。おお、もう一度あのように眠って、もう一度あのような人に会うてみたい!」・・・「あの人の顔は大空のようだった、その中に日が懸り、月が懸っていて、それぞれの軌道を巡り続け、そうして、この小さなOの字型の地球を明るく照らし出していたのだ。」・・・「あの人の脚は大海原にまたがり、高く上に伸びた腕は紋章の頂のとさかのように世界を飾っていた。あの人の声には、美しい楽の調べを奏でながら空を行くという七つ星のように、豊かな響きが籠っていた、そうだった、身方に物を言う時には。でも、一たびこの大地を震え上がらせてやろうという気になれば、それは轟く雷鳴のようだった。あの人の恵みには冬が無く、秋の実りの豊かさは、刈れば刈るほど生い茂り、あの人の喜ぶ様は、さながら水切る海豚のよう、水に生きながら、溺れて背筋を水面から没することが無かった。王も太守も、あの人の仕着せを着て歩き、諸々の国々、島々、ことごとくあの人の懐からこぼれおちる銀貨のようだった。」(169pから引用)
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