その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

塩野 七生 『ローマ人の物語〈19〉悪名高き皇帝たち(3) 』 (新潮文庫)

2010-12-07 22:25:49 | 
 亀の歩みで、少しずつ読み進めている『ローマ人の物語』。

 本巻は、カルガリの後を受けて50歳になってから歴史家から皇帝となったクラウディウスの治世を描きます。クラウディウス帝は、カリグラの統治で地に落ちた帝政への信頼の回復に努め、財政の再建、北アフリカ、ユダヤ、ブリテンの外政の問題解決、クラウディウス港の整備など、派手さはないものの着実に実績を積んでいます。しかし、残念なことに良き夫人に恵まれず、放縦な若き妻メッサリーナはご乱交のおかげで死罪、その後妻で迎えたアグリッピーナは野望高き女で、結局、彼女に殺されてしまいます。

 正直、あまりエキサイティングな巻ではありませんが、ブリテン島(イギリス)についての記述があるのが、私には興味を引きました。

 「現イギリスは、国土の四分の三はローマ帝国の外にあり続けたドイツと違って、ローマに征服された歴史を持つ。イギリスの学者たちの好む言い方に換えると、イギリスはローマ世界に入ったことで、ゲルマン(ドイツ)人のような蛮族ではなくなった、となるのだが」(p60)ということらしいです。

 「反ローマのガリア人たちの逃げ込み先となるのを阻止」するためにユリウス・カエサルの初めての遠征(BC55,BC54)により接触が始まったローマとブリタニアの関係ですが、クラウディウス帝はブリタニア征服を決行します。紀元42年にブリタニア最大部族の後継者争いが、北東ガリアまで巻き込んだのをきっかけに、兵をドーバー海峡を渡らせ、クラウディウス自身も出馬しコルチェスターを抑え、ブリタニアをローマの属州化しました。そして、皇帝がローマに帰ったあとも、ローマ軍はノーフォーク地方まで北に進み、その後「テムズ川の南、現在のカンタベリー、ローマ、バースを結んだ線より南の攻略が、ローマによるブリタニア制覇の第2派」になりました。丁度、バースに温泉を発見したのも、この頃です。(pp60-74)

 当時はまだ世界の辺境であったブリタニアに、縁あって今生活していることを考えると、とても身近な歴史に感じられるのが面白いです。
コメント
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