イギリスでの遠征公式戦アメリカNFL(アメフトのプロリーグ)タンパベイ・バッカニアーズ対シカゴ・ベアーズの試合を見に、ウエンブリースタジアムへ行った。一度はウエンブリースタジアムへ行きたかったのと、NFLの試合を観るという、私のWishListの2つが同時に叶うというこの日は、朝から興奮状態。
往路のTubeメトロポリタンライン車内からお祭り状態。Wembley Park駅で降りると、駅前から堂々と見えるスタジアムまで伸びる一本道も、もう既にファンで一杯。プレミアリーグの試合にはかれこれ1年近く御無沙汰しているが、プレミアリーグのサッカーの試合に比べても、かなり華やいだ雰囲気に感じる。しかし、いったいロンドンでNFLの試合を見に来る人ってどういう人たちなのだろうか?ベーアズやバッカニアーズののユニホームを着た人が何人も居る。加えて、ジャイアンツだったり、ジェッだったり、ドルフィンズだったり、他のチームのユニホームを着た人も居る。
(ウエンブリー・パーク駅からスタジアムを臨む)
(スタジアムから駅を臨む。人で一杯)
(スタジアムにかかったビルボード)
スタジアムの中に入るととにかくでかい。最上階の私の席にたどり着くのに、何個のエスカレータを上ったことか。スタジアムのつくりはアーセナルのエミリーツ・スタジアムに似ていると思ったが、もう場内は完全にアメリカに変わっていた。
(スタジアムに入るとそこにはアメリカが)
まず、アメリカを感じるのはチアリーダーたち。プリゲームショウでこれこそアメリカのチアリーダとも言うべき、ぶりぶりのオネエちゃん達が出てきて踊る。肉眼では良く見えないが、大スクリーン一杯に写ったチアリーダーたちの作られた完璧な笑顔や振り付けが、いやらしいぐらいアメリカである。隣に座っていたイギリス人グループは大喜びだった。そういえば、イギリスでこういうオネエさんって見かけたことがない。
(チアリーダーのショウ)
また、試合前の国家斉唱。これほどアメリカ的なものもないだろう。イギリスに来て初めてプレミアリーグの試合に行った際、イギリスの国家斉唱がないのに驚いた(きっとナシュナルチームのチームにはあるだろう)が、米国スポーツではスポーツ種類、プロアマを問わず、試合前の国家斉唱抜きの試合はありえない。国家斉唱が始まっても、私以外廻りの人が誰も起立しようとしないので、やっぱりイギリス人は国家斉唱には慣れてないんだと思った。途中で、段々と起立する人が目立ってくると、「そうか立つのか」という感じで立ち始めるのも微笑ましい。
(プリゲームのコンサートと選手入場)
(国家斉唱)
名称上はイギリスと同じ、フットボールでも、アメリカンフットボールは完全なアメリカのスポーツだ。個々の選手の役割が完全に定義され、その役割のプロフェッショナルたちが、兵隊としてその役割を演ずる。一つ一つのプレイに間が入り、作戦が確認される。試合展開は、流れの中で選手の自主、創造性に大きく委ねられるサッカーとは全く異なる。同じフットボールという名前がついているのかが、不思議なくらいだ。
試合は、前半は完全なベアーズペースでワンサイドゲームになるかと恐れたが、後半バッカニアーズが盛り返し、最後の最後までバッカニアーズの大逆転があり得る、面白い試合だった。あの大男達が、あんなに素早く動けるのが信じられない。そして、パスが通ったときの美しいフォーメーション。久しぶりのアメリカンフットボール観戦を堪能した。
(試合模様)
しかし、多少複雑な気持ちが残ったのも事実。全てのプロセスが100%ショービジネスとして完璧にプロデュースされたアメリカスポーツに、もと自他共に認めるアメリカ小僧であったはずの私が、微妙な違和感を感じてしまったのだ。アメリカンフットボールのスポーツとしての面白さは置いておいても、その舞台設定というか、演出とか、全てが出来過ぎなのである。決して、プレミアリーグがショービジネス化していないかと言えば、全くそうではない。しかし、何が違うとはっきりとはいえないのだが、「スポーツ」も「場」も「味付け」も本質的に違うのである。そこに違和感を感じたのは、私が年齢を重ねたせいか?イギリス基準に慣れてしまったからか?、両方か?自分でも良くわからかった。
いろんな意味で面白い1日だった。
2011年10月23日
往路のTubeメトロポリタンライン車内からお祭り状態。Wembley Park駅で降りると、駅前から堂々と見えるスタジアムまで伸びる一本道も、もう既にファンで一杯。プレミアリーグの試合にはかれこれ1年近く御無沙汰しているが、プレミアリーグのサッカーの試合に比べても、かなり華やいだ雰囲気に感じる。しかし、いったいロンドンでNFLの試合を見に来る人ってどういう人たちなのだろうか?ベーアズやバッカニアーズののユニホームを着た人が何人も居る。加えて、ジャイアンツだったり、ジェッだったり、ドルフィンズだったり、他のチームのユニホームを着た人も居る。
(ウエンブリー・パーク駅からスタジアムを臨む)
(スタジアムから駅を臨む。人で一杯)
(スタジアムにかかったビルボード)
スタジアムの中に入るととにかくでかい。最上階の私の席にたどり着くのに、何個のエスカレータを上ったことか。スタジアムのつくりはアーセナルのエミリーツ・スタジアムに似ていると思ったが、もう場内は完全にアメリカに変わっていた。
(スタジアムに入るとそこにはアメリカが)
まず、アメリカを感じるのはチアリーダーたち。プリゲームショウでこれこそアメリカのチアリーダとも言うべき、ぶりぶりのオネエちゃん達が出てきて踊る。肉眼では良く見えないが、大スクリーン一杯に写ったチアリーダーたちの作られた完璧な笑顔や振り付けが、いやらしいぐらいアメリカである。隣に座っていたイギリス人グループは大喜びだった。そういえば、イギリスでこういうオネエさんって見かけたことがない。
(チアリーダーのショウ)
また、試合前の国家斉唱。これほどアメリカ的なものもないだろう。イギリスに来て初めてプレミアリーグの試合に行った際、イギリスの国家斉唱がないのに驚いた(きっとナシュナルチームのチームにはあるだろう)が、米国スポーツではスポーツ種類、プロアマを問わず、試合前の国家斉唱抜きの試合はありえない。国家斉唱が始まっても、私以外廻りの人が誰も起立しようとしないので、やっぱりイギリス人は国家斉唱には慣れてないんだと思った。途中で、段々と起立する人が目立ってくると、「そうか立つのか」という感じで立ち始めるのも微笑ましい。
(プリゲームのコンサートと選手入場)
(国家斉唱)
名称上はイギリスと同じ、フットボールでも、アメリカンフットボールは完全なアメリカのスポーツだ。個々の選手の役割が完全に定義され、その役割のプロフェッショナルたちが、兵隊としてその役割を演ずる。一つ一つのプレイに間が入り、作戦が確認される。試合展開は、流れの中で選手の自主、創造性に大きく委ねられるサッカーとは全く異なる。同じフットボールという名前がついているのかが、不思議なくらいだ。
試合は、前半は完全なベアーズペースでワンサイドゲームになるかと恐れたが、後半バッカニアーズが盛り返し、最後の最後までバッカニアーズの大逆転があり得る、面白い試合だった。あの大男達が、あんなに素早く動けるのが信じられない。そして、パスが通ったときの美しいフォーメーション。久しぶりのアメリカンフットボール観戦を堪能した。
(試合模様)
しかし、多少複雑な気持ちが残ったのも事実。全てのプロセスが100%ショービジネスとして完璧にプロデュースされたアメリカスポーツに、もと自他共に認めるアメリカ小僧であったはずの私が、微妙な違和感を感じてしまったのだ。アメリカンフットボールのスポーツとしての面白さは置いておいても、その舞台設定というか、演出とか、全てが出来過ぎなのである。決して、プレミアリーグがショービジネス化していないかと言えば、全くそうではない。しかし、何が違うとはっきりとはいえないのだが、「スポーツ」も「場」も「味付け」も本質的に違うのである。そこに違和感を感じたのは、私が年齢を重ねたせいか?イギリス基準に慣れてしまったからか?、両方か?自分でも良くわからかった。
いろんな意味で面白い1日だった。
2011年10月23日