初めてジュークボックスに出会ったのは、小学6年の修学旅行で泊まった長崎のホテルだった。
私はその頃、若大将加山雄三のファンで、「君といつまでも」の4曲入りシングル盤を小遣いで買って、自宅の電蓄で擦り切れるほど聴いていた。
当然ジュークボックスでも「君といつまでも」と「夜空の星」を選曲した。
デカいスピーカーから流れる曲は大迫力で、それまでショボい電蓄で聴いていたものとは雲泥の差があった。
時は流れて、ジュークボックスが私の身近に再登場したのは、京都での大学生活を始めた頃だった。
行きつけとなった昼間は喫茶店、夜はスナックになる店にそれはあった。
週に2、3回は立ち寄り、ジュークボックスで流行りのヒットポップスを聴いていた。
当時は私が通う喫茶店、スナック、パブには、ほとんどジュークボックスがあった。
まだステレオを持っていなかった私は、当時のヒットポップスはラジオでチェックして、ジュークボックスで聴くというパターンだった。
時代の徒花的なジュークボックスは、私の音楽史において、電蓄からステレオに移行する期間の、欠かせないアイテムだった。
私はその頃、若大将加山雄三のファンで、「君といつまでも」の4曲入りシングル盤を小遣いで買って、自宅の電蓄で擦り切れるほど聴いていた。
当然ジュークボックスでも「君といつまでも」と「夜空の星」を選曲した。
デカいスピーカーから流れる曲は大迫力で、それまでショボい電蓄で聴いていたものとは雲泥の差があった。
時は流れて、ジュークボックスが私の身近に再登場したのは、京都での大学生活を始めた頃だった。
行きつけとなった昼間は喫茶店、夜はスナックになる店にそれはあった。
週に2、3回は立ち寄り、ジュークボックスで流行りのヒットポップスを聴いていた。
当時は私が通う喫茶店、スナック、パブには、ほとんどジュークボックスがあった。
まだステレオを持っていなかった私は、当時のヒットポップスはラジオでチェックして、ジュークボックスで聴くというパターンだった。
時代の徒花的なジュークボックスは、私の音楽史において、電蓄からステレオに移行する期間の、欠かせないアイテムだった。