保育園に通っていた頃には、すでに友達というコミュニティが存在し、帰宅してから私たちは、親にもらった小遣いの10円玉を握り締めて、近所の駄菓子屋という社交場に集まり親交を深めていた。
10円で買えるものはいろいろあったが、そのすべてを買えるわけではないので、日々何を買うか悩みに悩み抜いたものだ。
私のお気に入りは当て物だった。
一等賞は副賞の玩具が付いた甘納豆の大袋、二等、三等と下がって行き、末等のスカは甘納豆の小袋だった。
私たちは10円で大きな夢を狙っていたのだ。
今の競馬好きは、その頃の射幸心の発露の影響かもしれない。
子供心に10円というのは、自分の意思で使える最大限の金額だったような気がする。
その頃の私たちはそれを貯めて、50円、100円にしようとは露ほども思わなかった。
それをいかに有意義に消費するかが問題だったのだ。
貯めこんでしまうと、もっと貯めようとか、使うのがもったいなくなるものだ。
10円あれば今日欲しいものが買える。
明日はまた明日の10円がある。
子供の私にはそれで十分、それで十全だったのだ。
10円で買えるものはいろいろあったが、そのすべてを買えるわけではないので、日々何を買うか悩みに悩み抜いたものだ。
私のお気に入りは当て物だった。
一等賞は副賞の玩具が付いた甘納豆の大袋、二等、三等と下がって行き、末等のスカは甘納豆の小袋だった。
私たちは10円で大きな夢を狙っていたのだ。
今の競馬好きは、その頃の射幸心の発露の影響かもしれない。
子供心に10円というのは、自分の意思で使える最大限の金額だったような気がする。
その頃の私たちはそれを貯めて、50円、100円にしようとは露ほども思わなかった。
それをいかに有意義に消費するかが問題だったのだ。
貯めこんでしまうと、もっと貯めようとか、使うのがもったいなくなるものだ。
10円あれば今日欲しいものが買える。
明日はまた明日の10円がある。
子供の私にはそれで十分、それで十全だったのだ。