★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

刷り込み現象

2017年10月25日 17時48分14秒 | 徒然(つれづれ)
 生まれたばかりの雛が、初めて見る、身近にいるものを親と認識し、その記憶が長く続くことを、刷り込みというらしい。
 そばにいるのは、親鳥の場合がほとんどだが、人工孵化の場合は人間の場合もある。
 その場合はその人間を親と認識するらしい。

 人間に関しては顕著ではないらしいが、皆無ではないように思う。
 自分自身でも刷り込みと思われる現象を感じることがある。

 餃子というものを初めて食べたのが、大学入学に伴い京都へ出てきた時だ。
 当然、その存在は知っていたが、九州の辺境の田舎町では食べる機会がなかった。 
 餃子の王将で初めて食べて、その旨さに感激したものだ。
 その日以降、ほぼ毎日のように王将へ通い食べていた。

 頻度こそ減ったが、それは還暦を過ぎた今でも継続している。
 そんな私は王将の餃子以外は、餃子という気がしない。
 その味が完全に味覚に刷り込まれたのだ。

 同じようにマクドナルドやケンタッキーもそうだ。
 ハンバーガーとフライドチキンはその2つでしか食べない。
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アタック25

2017年10月25日 00時00分59秒 | 徒然(つれづれ)
 私が子供の頃は、クイズ番組といえば、視聴者参加が一般的だった。
 問題も、笑いやひねりはなく、頭脳をフル回転させて解く、純粋なものがほとんどだった。
 アップダウンクイズ、ベルトクイズQ&Q、クイズグランプリ、タイムショック…視聴者も解答者とともに、真剣にテレビの前で考えたものだ。
 司会者もインテリ芸能人を据えて、他のバカ番組とは一線を画す、それなりの格調や美意識が感じられた。

 それがいつのころからか、芸能人が解答者になり、笑いの取れるおチャラケ問題や、やらせ疑惑も云々される。
 視聴率ありきという考え方からだろうが、テレビ業界の意識低下の一因だ。

 現在かろうじて残っているのが、パネルクイズ・アタック25だ。
 今は亡き、知性派俳優児玉清の司会で、淡々と進行する番組は派手さには欠けるが、テレビ業界の良識を感じさせた。
 現在の司会の谷原章介の、プロミスのCMキャラを封印した、抑えた司会進行も好感が持てる。

 そんな奇を衒わない、永遠のオーソドキシーともいえる、ベタだが嫌味を感じさせないところがいい。
 飽きが来ないし、ないとなんとなく物足りない。
 ついつい習慣で観てしまう。
 それが長寿番組になっている由縁だろう。
 そこには笑点やサザエさんに通じるものがある。

 
 
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