★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

春樹の失敗

2017年10月23日 09時14分24秒 | 徒然(つれづれ)
「ライ麦畑でつかまえて」。
 言わずと知れたサリンジャーの代表作だ。
 私も大学時代、まわりに触発されて読んだ。
 いまいちピンとこなかったが、わかったようなふりをして、友人の読後感に相槌を打っていた。
 還暦を過ぎて読み返しても、雰囲気としては理解できるが、文学かどうかは怪しいものだ。

 出版当初は、若者の心情のカオスを、当時の若者言葉を散りばめた、口語体の独白調で書き殴り、既存の文学界に衝撃を与えたようだ。
 正確に言えば文学界ではなく、文章エンタメ界かもしれない。
 文学界の文豪も批評家も、サリンジャーの言語を理解していたかどうか怪しいものだ。
 意味のないものにあえて意味を見出すようなものだから。

 冗長に書き殴られた物語の最後は、精神病患者の独り言だったという、トンデモな肩すかしだ。
 まるで三流小説の夢オチと同じじゃないか。
 夢ならなんでもできるし、なんでも書ける。
 辻褄やストーリー、リアリティや思想なんてどうでもいい。
 不条理というぼんやりとした通奏低音さえ流していたら、読者が勝手に想像して、その評価は伝染病のように広がっていった。
「サリンジャーって可愛い~、サリンジャーってヤバくね?」
 そんな裸の王様状態だから、異を唱えるのはなかなか難しい。

 それをうまく利用したのが村上春樹だ。
 あのわけのわからない文章は、サリンジャーの焼き直しだ。
 頭のいいふりしている皆さんだったら、行間から勝手に想像できるよね、と言っているようだ。

 スウェーデン・アカデミーは今のところ騙されていないようだ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノーバン始球式

2017年10月23日 08時53分55秒 | 徒然(つれづれ)
 何でも略していいってもんじゃない。
 ノートパソコンをノーパソって略して、言う分にはいいけど、書いたらノーパンに空目するじゃないか。

 ノーバン始球式もそう。
 ちゃんとノーバウンド始球式と書いて記事にしてくれ。

 今日び、グラビア・アイドルの始球式が多いから、「壇蜜、ノーバン始球式」「橋本マナミ、ノーバン投球」なんて記事見ただけで、もよおしてしまうじゃないか。
 たぶんそれが狙いなのはわかるけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

23人…誕生日のパラドックス

2017年10月23日 00時22分50秒 | 徒然(つれづれ)
 誰しも、自分と同じ誕生日の著名人を、ネットで検索したことがあるだろう。
 9月9日生まれの私と同じ誕生日には、オーティス・レディング、弘兼憲史、村西とおる、大塚愛らがいる。

 同じ誕生日の人間がいる確率は、ランダムに366人を抽出すると、閏年や双子を考慮しなければ100%だ。

 では、同じ誕生日の人間がいる確率が50%を超えるには、最低何人必要か。
 難しい計算は割愛するが、答えは23人ということになるらしい。
 ランダムに23人抽出すれば、50%の確率で同じ誕生日の人間がいるという。
 そういわれると、今まで結構狭い範囲で、同じ誕生日の人間がいたなあ。

 しかし、23人より1人少ない22人を抽出して、残りの1人に自分を入れ、自分と同じ誕生日の人間がいる確率は、計算によると6%ということだ。
 同じ23人なのに、異なる確率だ。
 これを誕生日のパラドックスというらしい。

 これは、論理的な矛盾に基づくパラドックスではなく、結果が一般的な直感に反するという意味でのパラドックスだ。 

 それがわかればパラドックスでもなんでもない。
 単なる思い込み、錯覚に過ぎない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする