★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

あの頃の任天堂

2021年12月04日 12時44分45秒 | 徒然(つれづれ)
 1978年、大学を卒業して、クルマの添加剤の販売会社に就職して、会社が紹介してくれた京都市伏見区墨染の木造アパートに居を定めた。
 10室ほどの2階建て独身ボロアパートで、6畳1Kの部屋は、風呂なし、トイレは共同の、今思うと、可哀想なくらい貧相だった。

 会社までは、アパートから徒歩10分の墨染駅から京阪電車で京阪三条まで20分弱、そこから徒歩で10分ほどの所要時間だった。
 次のバストイレ付アパートに引っ越すまで、その通勤路を1年半通った。

 ほぼ毎日同じ電車なので、車窓の風景も変わらない。
 途中で任天堂の本社が見える。

 当時はトランプや花札の会社として知られていたが、いわゆる時代遅れの斜陽産業のイメージで、そのうち潰れるだろう、くらいの認識だった。
 車窓からその看板を見るたびに、こんな会社に入らなくてよかった、と思ったものだ。

 それが今や、テレビゲームから始まり、ファミコンで大当たりして、押しも押されもせぬ、世界に名だたるトップ企業だ。
 新卒で入社していたら、今頃自社株で大金持ちだっただろう。


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下宿生活

2021年12月04日 12時01分59秒 | 徒然(つれづれ)
 大学時代は下宿をしていたので、一応、門限があり、料理や洗濯、掃除などの家事一般の身のまわりのことを、主に母親がやってくれる自宅通学者とは、かなり生活様式が違っていたと思う。

 その下宿生活が私の人生に与えた影響は少なくない。
 それは対人関係において最も顕著だ。

 下宿していると、友達を泊めたり、逆に彼らの下宿に泊まったりしたものだ。
 徹マンの時など、四畳半の部屋に4人で雑魚寝という状態もしばしばあった。

 ひどい時は、そのうちのひとりやふたりは、その日が初対面の時もあった。
 友達の友達というやつだ。
 そしてそこから交友関係が広がったりもしたものだ。

 河原町あたりで酒を飲んで終電を逃した時には、タクシーで一番近い奴の下宿へなだれ込んだりしたものだ。
 そのまま何日か連泊する強者もいた。

 仲間内では、下宿に泊まる、泊めることに、さほど抵抗はなかったように思う。
 自宅通学者はこうはいかなかっただろう。

 それが社会人になり、結婚などしようものなら、自宅に友達を泊めることなどほとんどなくなった。
 それだけ友達との距離が遠くなったのだ。

 今の個を大事にする大学生は、下宿というか独り暮らしのアパートに、気軽に友達を泊めたりするのだろうか。
 

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