僕がまだ小学校の低学年だった頃、日本は高度成長期に入り、3月の終わりになると、僕たちの田舎から都会へ向けて集団就職の列車が仕立てられていた。
その日の朝になると、結構な数の中学卒業生と高校卒業生とその親たちが、先生に引率されて田舎の駅舎の前に集まっていた。
母親が小学校の教師で、小学校の時の教え子を見送る母親について、僕も興味本位で出かけたものだ。
当時の田舎では、中学を卒業して就職する者が、高校へ進学する者より多かったような気がする。
駅舎の前で記念撮影をしたり、両親から激励や気遣いの言葉をかけられるあたりまで、彼らは修学旅行へでも行くようなはしゃぎ振りだった。
それが列車に乗り込んで、窓から別れを惜しむ頃になると、両親の涙に、ついついもらい泣きの嗚咽があちらこちらから聞こえてきた。
女子生徒はもちろん、男子生徒も目を真っ赤にしているのが見えた。
都会へ行くのに、何が悲しいんだろうと、当時の僕は不思議に思ったものだ。
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を聴くとあの時の光景が脳裏によぎる。
そして、イルカの「なごり雪」を聴くと、集団就職から一年も経たないうちに、田舎に舞い戻ってきた、少なからざるお兄ちゃんやお姉ちゃんが思い出される。
その日の朝になると、結構な数の中学卒業生と高校卒業生とその親たちが、先生に引率されて田舎の駅舎の前に集まっていた。
母親が小学校の教師で、小学校の時の教え子を見送る母親について、僕も興味本位で出かけたものだ。
当時の田舎では、中学を卒業して就職する者が、高校へ進学する者より多かったような気がする。
駅舎の前で記念撮影をしたり、両親から激励や気遣いの言葉をかけられるあたりまで、彼らは修学旅行へでも行くようなはしゃぎ振りだった。
それが列車に乗り込んで、窓から別れを惜しむ頃になると、両親の涙に、ついついもらい泣きの嗚咽があちらこちらから聞こえてきた。
女子生徒はもちろん、男子生徒も目を真っ赤にしているのが見えた。
都会へ行くのに、何が悲しいんだろうと、当時の僕は不思議に思ったものだ。
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を聴くとあの時の光景が脳裏によぎる。
そして、イルカの「なごり雪」を聴くと、集団就職から一年も経たないうちに、田舎に舞い戻ってきた、少なからざるお兄ちゃんやお姉ちゃんが思い出される。
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