昭和36年春、僕は小学校に入学した。
九州の辺境の町の小学校だったが、当時は全学年5組や6組まであった。
戦後のベビーブームがまだ尾を引いていた時代だ。
2年生になった時、炭鉱景気がピークとなり、各地から炭鉱労働者が流れてきた。
それに伴い、その子供たちが学年を問わず大挙編入してきた。
僕たちのクラスにも複数の転校生が、毎月のように入ってきた。
学校は運動場の隅に急造の校舎を建て、3、4クラスがそこに入った。
僕たちはそれを離れ校舎と呼んでいた。
学校だけに限らず、炭鉱景気のおかげで、僕たちの村にはスーパーマーケットや、雑貨屋、パチンコ屋や飲み屋などができた。
炭鉱の近くには長屋風の炭住が軒を連ねた。
炭住は、子供の僕たちでもわかるほど、キャリアとノンキャリアでは、部屋数、広さ、外観など、明らかな差があった。
どちらの子供も同級生にいたので、彼らの家に遊びに行った時に、子供ながらその格差に戸惑ったものだ。
炭鉱景気も長くは続かず、僕が6年生になった頃には、急激に業容を縮小し、2年後の閉山を待つばかりとなっていた。
それに伴い、子供たちも親の引っ越しで、次々に転校していった。
離れ校舎は物置から廃屋然となり、時を経ずして解体された。
その後、炭鉱の跡地は、工場誘致が決まるまで、長い間風雨にさらされ、夏草や兵どもが夢の跡、状態になっていた。
漁師村は、束の間、昔の静けさを取り戻した。
九州の辺境の町の小学校だったが、当時は全学年5組や6組まであった。
戦後のベビーブームがまだ尾を引いていた時代だ。
2年生になった時、炭鉱景気がピークとなり、各地から炭鉱労働者が流れてきた。
それに伴い、その子供たちが学年を問わず大挙編入してきた。
僕たちのクラスにも複数の転校生が、毎月のように入ってきた。
学校は運動場の隅に急造の校舎を建て、3、4クラスがそこに入った。
僕たちはそれを離れ校舎と呼んでいた。
学校だけに限らず、炭鉱景気のおかげで、僕たちの村にはスーパーマーケットや、雑貨屋、パチンコ屋や飲み屋などができた。
炭鉱の近くには長屋風の炭住が軒を連ねた。
炭住は、子供の僕たちでもわかるほど、キャリアとノンキャリアでは、部屋数、広さ、外観など、明らかな差があった。
どちらの子供も同級生にいたので、彼らの家に遊びに行った時に、子供ながらその格差に戸惑ったものだ。
炭鉱景気も長くは続かず、僕が6年生になった頃には、急激に業容を縮小し、2年後の閉山を待つばかりとなっていた。
それに伴い、子供たちも親の引っ越しで、次々に転校していった。
離れ校舎は物置から廃屋然となり、時を経ずして解体された。
その後、炭鉱の跡地は、工場誘致が決まるまで、長い間風雨にさらされ、夏草や兵どもが夢の跡、状態になっていた。
漁師村は、束の間、昔の静けさを取り戻した。
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