★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

カットアップやってみた

2021年12月20日 20時39分29秒 | 徒然(つれづれ)
頚椎症の腕の痛みと痺れは継続し眠れぬ夜のナイトメアにウナセラディ                                     神を見る                    灼熱の惑星は絶対零度の夢を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は             闇の世界に何を知らず                                        羞恥               を信じるアメリカ人は恥を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                            懐かしいあの日                              を信じるアメリカ人は恥を見る                                        灼熱の惑星は絶対零度の夢を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                                            ため息の煙は舞い上がり                         冷たい月が砂漠を知らず     羞恥を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                                       ため息の煙は舞い上がり   冷たい月が砂漠を見る                                 灼熱の惑星は絶対零度の夢を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                                      懐かしいあの日を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は    懐かしいあの日を見る                                              灼熱の惑星は絶対零度の夢を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は                                                        闇の世界に何                    を信じるアメリカ人は恥                  を信じるアメリカ人は恥を見る                       灼熱の惑星は絶対零度の夢を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                              ため息の煙は舞い上がり                                               冷たい月が砂漠を知らず          羞恥を知らず                           羞恥を知らず    羞恥を見る                                                       灼熱の惑星は絶対零度の夢を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                                                    ため息の煙は舞い上がり                                                  冷たい月が砂漠を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                                 ため息の煙は舞い上がり                       冷たい月が砂漠を知らず   羞恥             を信じるアメリカ人は恥                       を信じるアメリカ人は恥を知らず                         羞恥を知らず 羞恥を見る                                        灼熱の惑星は絶対零度の夢を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                                    懐かしいあの日を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                                懐かしいあの日                                        を信じるアメリカ人は恥を知らず                  羞恥を見る     灼熱の惑星は絶対零度の夢を知らず  羞恥を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                         ため息の煙は舞い上がり                                         冷たい月が砂漠を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は             闇の世界に何を見る                                                       灼熱の惑星は絶対零度の夢を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず       ため息の煙は舞い上がり                                             冷たい月が砂漠を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず            ため息の煙は舞い上がり    冷たい月が砂漠を見る                          灼熱の惑星は絶対零度の夢を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                  懐かしいあの日を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は             懐かしいあの日を見る                                               灼熱の惑星は絶対零度の夢  を信じるアメリカ人は恥を知らず                   羞恥                                                    を信じるアメリカ人は恥                    を信じるアメリカ人は恥を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は                                                        闇の世界に何を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は                                            闇の世界に何                           を信じるアメリカ人は恥を知らず                    羞恥             を信じるアメリカ人は恥                           を信じるアメリカ人は恥を見る                                        灼熱の惑星は絶対零度の夢を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                            懐かしいあの日を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                                              ため息の煙は舞い上がり                  冷たい月が砂漠を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は                                                         闇の世界に何を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                                          懐かしいあの日                    を信じるアメリカ人は恥                         を信じるアメリカ人は恥                                          を信じるアメリカ人は恥                                 を信じるアメリカ人は恥を見る                        灼熱の惑星は絶対零度の夢を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は    闇の世界に何を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は  懐かしいあの日を見る          灼熱の惑星は絶対零度の夢を見る                                        灼熱の惑星は絶対零度の夢を見る                                                  灼熱の惑星は絶対零度の夢                              を信じるアメリカ人は恥を見る                       灼熱の惑星は絶対零度の夢を知らず                                                羞恥                                                     を信じるアメリカ人は恥を知らず        羞恥を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず          ため息の煙は舞い上がり                        冷たい月が砂漠を知らず                                                         羞恥を見る                                  灼熱の惑星は絶対零度の夢を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                                                懐かしいあの日                                  を信じるアメリカ人は恥を垣間見せる地下へ潜る炭鉱夫は               闇の世界に何を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は                              懐かしいあの日を旨の日本人は無宗教真実は非現実で現実は真実記憶の回廊の彼方から聞こえる声はタイム・ゴーズ・バイ夜明けの鳥の名前は知らず                    ため息の煙は舞い上がり                                               冷たい月が砂漠を知らず                         羞恥                 を信じるアメリカ人は恥                                                     を信じるアメリカ人は恥を照らす愛しき人は今何処溶けた時計のねじれた時間は              懐かしいあの日。


狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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「あの頃の海」・・・拙著抜粋

2021年12月20日 18時48分29秒 | 徒然(つれづれ)
 九州の片田舎の村で僕は生まれ、高校を卒業するまでそこで育った。
 海岸線と背の低い山並みに挟まれた細長い村で、漁業と農業を生業とする人々がほとんどだった。そんな地域性を反映してか、小学校の校歌には、包みてあふる海の幸、宿してあまる山の富、という一節があった。

 僕が生まれたのは、第二次世界大戦が終わって九年目の秋だ。
 村に住んでいた大人たちは大半が戦争経験者だった。酒が入ると、当たり前のように戦地での話をしていた。軍歌とか戦争漫画とかが、日常生活と何の違和感もなく併存していた。白衣を着た傷痍軍人が、観音様の石段の前に立っていたりもした。

 僕の父方の祖父や父親の兄弟、親戚も漁師だった。そんな中で父親は小学校の教師という異色の職業を選び、同じ教師の母親と結婚した。漁師という職業が嫌だったのか、たまたま、突然変異的に教師になるくらい頭がよかったのかはわからない。
 その頃の教師というのは、医者や坊主と並んで、田舎町ではちょっとしたステイタスだった。中元、歳暮の季節には、生徒の親から贈られてきた贈答品の箱が、床の間に山積みだったのを覚えている。僕も小学校くらいまでは、学校の先生の息子というだけで、近所のオバちゃん連中にチヤホヤされたものだ。

 そんなわけで、父親がそうだったように、僕は祖父の漁師のDNAをほとんど受け継いでいない。
 子供の頃は、イワムシやゴカイといった釣り餌を触るのも嫌で、魚料理、とりわけ刺身が大の苦手だった。祖父たち漁師にとっては、生活の種であり糧であった魚も、僕にとっては鑑賞目的でしかなかった。そんなものを食べるわけにはいかない。僕はいつも食卓に上る魚介類には目もくれず、ふりかけや漬物をおかずにしていた。

 記憶を辿れば、物心がついたのは、保育園に通うあたりの年齢だ。
 家から保育園までは、両側に家並みが続く、未舗装の道を五分くらい歩く。僕は近所の友達連中と、道路の右端を一列になって通園した。
 朝の通勤通学の時間帯の道路は、ボンネットバスやオート三輪が行き交う。近くの停留所にはバス待ちの人の列ができている。ほとんど知っている顔ばかりだ。

 僕たちはお寺の山門を抜け、そこから石段を昇る。お寺に隣接した保育園は、山の小高い斜面にあり、毎日百数十段の石段を昇って通園したものだ。石段には十二、三段おきに踊り場があり、中間地点にはお地蔵さんが祭ってあった。
 石段を昇り切ると、正面にお寺の本堂があり、右手には鐘つき堂、左手には樹齢何百年はあろうかという、銀杏の巨木が聳えていた。
 後ろを振り返ると、眼下には、竹藪越しに小さな村の家並みが見えた。

 ある時、その家並みの一軒から出火したことがある。
 僕たち園児は、山の斜面のお寺の境内から、鈴なりになって、燃えさかる家を見ていた。火事も珍しかったが、半分は、もうすぐ来るであろう、消防車の勇姿を見ようという気からだ。
 下界の半鐘やサイレンの音とともに、和尚さんが必死で付く釣鐘の音が、夏の空の下に響き渡っていたのを覚えている。

 小学校に入るか入らないかの世代の、僕たちの社交場は駄菓子屋だった。
 保育園や小学校から帰ると、他に遊びの用事がない時は、僕たちは五円玉や十円玉を握りしめて駄菓子屋に集まり、日が暮れる時間までそこで過ごした。
 駄菓子屋といっても菓子だけでなく、日用雑貨の類いも置いているよろず屋みたいなものだ。夏は店内に蝿取り紙が吊るしてあり、その脂の臭いが、海から来る魚の臭いと混じって、どんよりと漂っていたのを覚えている。
 僕たちはそこで当てもののくじを引いて、ハズレの甘納豆やスルメを食べたり、ビー玉やメンコ遊びをするのが日課だった。店内のラジオからは、大相撲中継や流行歌が流れていた。その流行歌を、耳コピして覚えたのもその頃だ。
 
 村の家並みの向こうには、海が広がっていた。
 我は海の子でもないが、生まれた時から海はそばにあった。実際、家から海岸までは、歩いて一、二分の距離だった。漁師をやっていた祖父の家から海まで五、六分だったので、教師をやっていた父親の家のほうが海に近かったのだ。

 今では古い写真の中で、セピア色に褪色している海も、当時は季節や時間によって、青や灰色や緑色にその色を変えていた。内海だったので、荒れることはほとんどなかった。多分、台風の時は荒れたのだろうが、そんな時は家の中にいたので、荒れた海を見た記憶がない。
 穏やかな海は、僕にとっては単なる見慣れた風景や生活の一部で、その向こうに広がる大海原や、遠い外国の街に思いを馳せることはなかった。僕が泳ぎ、祖父が漁をする場所だ。
 父親が二眼レフのカメラで撮ってくれた僕の白黒写真には、海や波止場や漁船をバックにしたものが多い。写真を撮ること自体、一種の贅沢行為だったからか、背景のチョイスには気を使っていたのだろう。そんな父親にとって、海は身近で格好の背景だったに違いない。

 海岸は細長い防波堤の右側が小さな港になっていた。
 村の人は港と呼んでいたが、それはあまりにも小規模で、港というより船着き場という感じだった。その船着き場には、いつも数十艘の漁船が係留されていた。祖父や親戚の船もあった。
 僕たちは船の持ち主がいない時は、義経の八艘飛びよろしく、船から船へ飛び移って遊んだ。たまにドジな奴がいて、海に落ちて泣いていた。みんな小さい頃から泳ぎは達者だったので、溺れることはなかった。
 船はいつ出漁していたのか不思議だったが、今にして思うと、沿岸漁業だったので、僕が寝ている間に出港して戻って来ていたのだろう。

 港のそばには小さな海苔の製造工場があった。
 昔は天日干しオンリーだった海苔も、当時は、天日と工場での人工的な乾燥の二本立てになっていた。袋詰めされ製品化された海苔は出荷され、地元の人々は二級品や切れ端のもみ海苔を食べていた。
 近所の家々の軒下では季節になると、養殖の生牡蠣を殻から外し、商品化する作業が行われていた。すべておかみさんたちによる手作業だ。山と積まれた牡蠣殻は、細かく砕かれて、山の畑の肥料になっていたみたいだ。

 毎年八月の初めには、隣村の波止場で花火大会があり、僕は両親や、同居していた母方の祖母や、近所に住んでいた従兄弟たちと、祖父の船で会場まで行った。
 まわりには、近隣の漁村から集まった船がひしめいていた。それらの船の上で大人は酒を飲み、子供はスイカやまくわ瓜を食べ、海岸から打ち上げられる花火を見ていた。
 物心ついて、最初に花火を見た時は、船の真上の夜空に広がる、花火の圧倒的な巨大さと轟音に怯えて、僕は耳を塞いで目を瞑り、ベソをかいていた。
 真っ暗な夜空一面に、突然の爆発音とともに広がる巨大な火の模様や、焼夷弾のように落ちてくる火の粉が、わけの分からない恐怖を引き起こした。
 とにかく、逃げ場のない怖さを感じたのを覚えている。家の庭でやる花火とは桁違いの迫力が、僕の遺伝子の中に潜む、空襲の記憶を呼び起こしたのかもしれない。
 
 防波堤の左側は遠浅の砂浜で、春は潮干狩り、夏は海水浴が楽しめた。
 夏休みになると、山手のほうの集落から、保護者の代表に連れられた子供たちが、集団登校みたいに海岸へ通ってきた。子供の頃の僕は、ラジオ体操から帰り、朝食を取ったあと、日中は毎日そこで泳いでいた。

 子供はみんな泳ぎは達者だったが、遠泳したりするものはいなかった。砂浜からせいぜい二、三十メートルほどの浅瀬で泳いでいた。大人たちから、穏やかに見えても海は怖いものだと、口酸っぱく教え込まれていたからだ。穏やかな海も、ちょっと沖へ出ると、潮の流れは複雑だ。漁師の子でさえあまり沖へは行かない。
 親の帰省で連れられてきた町の子が、潮に流されそうになって、漁師に助けられたりしたのを、何度となく聞いていた。そうでなくともその頃の僕たちは、そんなに距離を泳げるほどの体力もなかった。

 海岸横の広場には恵比寿様が祭ってあり、お盆には縁日が出たり、子供相撲大会が開催されたり、小規模な精霊流しが行われたりした。昼間はアイスキャンデー売りやスイカ売り、紙芝居屋が出張ってくることもあった。
 長い海岸線沿いにはいくつもの集落が散在していた。
 小学校に入ったばかりの僕たちは、近所の年長の小学生に連れられて、海岸線沿いに近隣の村へと遠征した。砂浜から岩場、時には海に面した崖を登り、隊列を組んで進んでいった。
 目的地に着くと、海岸から海賊よろしく村の中心部へと上陸した。
 辿り着いた村々には、小学校で一緒の子供たちの家々があった。それぞれの村の子供たちも徒党を組んで遊んでいた。僕たちのグループと友好関係にあるグループもあったが、反目するグループもあった。
 時には上級生同士、喧嘩になることもあったが、僕たちのグループのリーダーはめっぽう喧嘩が強く、僕たちは、どの村に行っても肩で風を切って歩いていた。
 
 海岸線のすぐそばには国鉄の線路が通っていた。
 走っているのは、もちろん蒸気機関車に繋がれた列車だ。
 単線で、踏切には警報機も遮断機もなかった。
 家から海へは踏切を渡ると遠回りになるので、僕はいつも家の裏のトウモロコシ畑を横切って、線路を渡っていた。汽車が通る時刻など分からなかったので、左右を目視確認するだけだ。
 線路では、レールに耳を付けて遠くの列車の音を聴いたり、レールの上に一円玉や五円玉を乗せて、汽車が通ったあと、ペチャンコになった硬貨を拾って、友達に見せて自慢したものだ。僕は人間だったらどうなるのかなあ、と思ったりもした。

 僕の家には母方の祖母が同居していた。母ひとり子ひとりだったからだ。
 戦前に祖父と死別した祖母には、末っ子の母を含め三人の娘がいたが、上のふたりは僕が生まれる前に病気で亡くなったらしい。家の仏壇にふたりの遺影が飾ってあった。どちらも十代後半だ。
 すでに亡くなった祖母や母の出自を、大人になった今でも僕は知らない。

 そんな祖母とふたりだけのある雨の日の夕方、鋭い警笛とブレーキ音とともに、家の裏で汽車が停まったので、祖母の制止を振り切り、僕は傘を差して、わざわざ外へ見にいった。
 列車の窓やデッキから、何人かの人が首を出して外を覗いていた。
 停まっている列車の横に人が倒れていた。
 サイボーグのように額が割れて、大量の血が溢れていた。その血は赤い絵の具のように、そばの溝に流れ込んでいた。
 あとから来た大人たちに、家に帰ってろと言われて、家に戻り、食べかけていた夕食を食べた。人の死というものが、まだピンと来なかった頃だ。これが思春期とかだったら、嘔吐したり、ショックを受け、悪夢にうなされたりしただろう。

 近所にトラさんという飲んだくれがいた。
 朝から酒を飲んで、誰彼となく絡むので、近所の鼻つまみになっていた。
 酒を飲んだトラさんはよく、汽車を止めてやると言って、踏切に仁王立ちしたり、寝転んだりして、実際に何度か汽車を止めていた。僕たちは興味津々でその一部始終を見て、喝采を送っていた。
 トラさんは何度目かの時に、運悪く汽車にはねられて死んでしまった。
 残念ながらそれを見る機会はなかった。
 両親や祖母は葬式には行ったようだ。厄介者だったから、みんなせいせいしたと思っていたら、やっぱり泣いていた人もいたらしい。
 
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M-1グランプリ雑感

2021年12月20日 13時59分25秒 | 徒然(つれづれ)
 昨日は暇だったので、久しぶりにM-1グランプリを観た。
 私の感性が鈍いのか、昨今の漫才のネタで笑ったことがほとんどない。
 今回も笑えるネタは少なかったが、M-1に懸ける芸人たちの意気込みは、それなりに伝わった。

 優勝はおじさん芸人と呼ばれる錦鯉だった。
 ボケの長谷川50歳、ツッコミの渡辺43歳で、私から見れば若造だが、芸人の世界ではロートル扱いだ。

 決勝で残った3組の中では、私の評価は一番下だったが、僅差とはいえ、審査員の評価は逆だった。
 中には錦鯉の嬉し泣きにもらい泣きする審査員もいて、浪花節的な一面も垣間見えた。

 他の2組、オズワルドとインディアンズは、素人目に見ると、漫才の技術的には錦鯉を上回っているように感じた。
 しかし、錦鯉には他の2組に見えた嫌味やシニカルさがなかった。真摯に真剣にバカを演じ切っていた。
 苦節何十年、アルバイトでのどん底生活、という経歴も審査員の心証をよくしたようだ。

 心技体のトータルという点では、錦鯉の優勝は当然かもしれない。


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下手の考え休むに似たり

2021年12月20日 13時28分15秒 | 徒然(つれづれ)
 パスカルは言った。
「人間は考える葦である」
 デカルトは言った。
「我思う、故に我あり」

 思考、いわゆる考えるということは、他の動物にはない、人間としての大きな要素だ。
 学問、将来、生活、仕事、人間関係、恋愛、その他いろんな物事について、思考することは、人間が持って生まれた、いわば性(さが)のようなものだ。

 天才は天才なりに、凡人は凡人なりに、馬鹿は馬鹿なりに、いろいろ考えて行動する。
 天才と馬鹿の考えは、純粋というか単純だ。

 凡人の考えが、広く浅く一番複雑だ。
 考えないでいいこと、考えると憂鬱になることまで考えてしまうのだ。
 下手をすると、病は気から、を地で行くことになりかねない。

 歳をとると尚更だ。
 将来のこと、生活のことを考えると、暗い気分にならざるを得ない。

 要は、下手の考え休むに似たり、というやつだ。
 考えてもどうしようもないことがあるのだ。

 我々高齢者は、人間は考え過ぎる葦である、我思う、故に我悩む、と解釈して、深く考えることを放棄しようではないか。
 明日は明日の風が吹くさ。
 

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