歳をとってくると、昔は毛嫌いしていた昭和歌謡や演歌などがわかるようになったとよく聞く。
私もまったくもってそうだ。
メロディもそうだが、特に歌詞は人生経験を積んで初めて共感できるようになった。
今日びのJポップなどの字余り的な歌詞は、その多弁さゆえに薄っぺらな印象しか与えない。
右の耳から左の耳へ抜けていき、心にはほとんど何も残らない。
その点、演歌などは、ブルースにも似た、定番的なコード進行で、作り手の言葉選びの葛藤や、推敲で消えていった言葉の名残りが見えるようだ。
そして、演歌歌手の卓越した技量により、切ない情景が浮かび、うごめく情念が心を揺らす。
ブルースが黒人の心であるように、演歌は日本人の心、という表現がぴったりだ。
しかし、最近、私はその演歌を通り越して、童謡や唱歌などに心をひきつけられる。
子供の頃、深く考えることもなく歌った、シンプルなメロディにシンプルな歌詞。
それでいて、どことなくノスタルジックで、言葉のチョイスが的確なのだ。
たぶん、演歌よりも言葉選びは峻烈を極めている。
その極めつけが君が代だ。
スポーツの開会式などで今時の歌手が歌うのはいただけないが、本職のオペラ歌手あたりが朗々と歌い上げる君が代は、歌詞の持つ普遍性、永遠性がダイレクトに胸に刺さる。
私もまったくもってそうだ。
メロディもそうだが、特に歌詞は人生経験を積んで初めて共感できるようになった。
今日びのJポップなどの字余り的な歌詞は、その多弁さゆえに薄っぺらな印象しか与えない。
右の耳から左の耳へ抜けていき、心にはほとんど何も残らない。
その点、演歌などは、ブルースにも似た、定番的なコード進行で、作り手の言葉選びの葛藤や、推敲で消えていった言葉の名残りが見えるようだ。
そして、演歌歌手の卓越した技量により、切ない情景が浮かび、うごめく情念が心を揺らす。
ブルースが黒人の心であるように、演歌は日本人の心、という表現がぴったりだ。
しかし、最近、私はその演歌を通り越して、童謡や唱歌などに心をひきつけられる。
子供の頃、深く考えることもなく歌った、シンプルなメロディにシンプルな歌詞。
それでいて、どことなくノスタルジックで、言葉のチョイスが的確なのだ。
たぶん、演歌よりも言葉選びは峻烈を極めている。
その極めつけが君が代だ。
スポーツの開会式などで今時の歌手が歌うのはいただけないが、本職のオペラ歌手あたりが朗々と歌い上げる君が代は、歌詞の持つ普遍性、永遠性がダイレクトに胸に刺さる。
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