★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

歌の好みの変遷

2021年12月09日 15時23分44秒 | 徒然(つれづれ)
 歳をとってくると、昔は毛嫌いしていた昭和歌謡や演歌などがわかるようになったとよく聞く。
 私もまったくもってそうだ。

 メロディもそうだが、特に歌詞は人生経験を積んで初めて共感できるようになった。
 今日びのJポップなどの字余り的な歌詞は、その多弁さゆえに薄っぺらな印象しか与えない。
 右の耳から左の耳へ抜けていき、心にはほとんど何も残らない。

 その点、演歌などは、ブルースにも似た、定番的なコード進行で、作り手の言葉選びの葛藤や、推敲で消えていった言葉の名残りが見えるようだ。
 そして、演歌歌手の卓越した技量により、切ない情景が浮かび、うごめく情念が心を揺らす。
 ブルースが黒人の心であるように、演歌は日本人の心、という表現がぴったりだ。

 しかし、最近、私はその演歌を通り越して、童謡や唱歌などに心をひきつけられる。
 子供の頃、深く考えることもなく歌った、シンプルなメロディにシンプルな歌詞。
 それでいて、どことなくノスタルジックで、言葉のチョイスが的確なのだ。

 たぶん、演歌よりも言葉選びは峻烈を極めている。
 その極めつけが君が代だ。
 スポーツの開会式などで今時の歌手が歌うのはいただけないが、本職のオペラ歌手あたりが朗々と歌い上げる君が代は、歌詞の持つ普遍性、永遠性がダイレクトに胸に刺さる。


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オミクロンは弱毒化?

2021年12月09日 11時18分24秒 | 徒然(つれづれ)
 コロナのオミクロン株感染が南アフリカや欧米で急拡大している。
 日本も第5波のデルタ株の後手対応で懲りて、先手必勝とばかり過剰反応しているが、それはそれで仕方ないだろう。

 感染力は前のデルタ株より格段に強そうだが、重症化、および死者数はほとんど報告されていないようだ。
 変異して、インフルエンザ並みに弱毒化したのかもしれない。

 日本と違い、欧米の感染の急拡大の原因は、ウィズコロナ対策やノーマスク、その他の衛生観念の相違だろう。
 部屋の中でも土足生活、ノーマスクにハグやキスの密状態の欧米に比べ、マスクの装着率は90%以上を誇り、アルコール消毒やうがいなど、国民の衛生観念が高い日本は、今のところコロナは下火傾向だ。なお、ワクチンに関しては今後の検証がまたれる。

 現在の政府の過剰な反応や対策も、備えあれば憂いなし、で一応、正解と言えるだろう。
 このまま、コロナに脅かされることなく、平穏な年末年始を迎えたいものだ。
 

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