虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

壊し屋、逝く。

2014-10-08 09:33:58 | スポーツ
月曜日の朝、悲しいニュースが入ってきた。

元F1ドライバー、アンドレア・デ・チェザリスがイタリア現地時間の5日(日)バイク事故で死去した。享年55才。

イタリア『La Gazzetta dello Sport(ガゼッタ・デロ・スポルト)』によると、デ・チェザリスは5日(日)午後、高速道路を日本製の大型バイクで走行中、誤ってガードレールに衝突したという。
救急隊が救命にあたったが、即死状態だったとのことだ。

デ・チェザリスはローマ生まれ。
1980年に22才の若さでF1デビュー。
1994年までにアルファロメオ、マクラーレン、リジェ、ミナルディ、ブラバム、リアル、ダラーラ、ジョーダン、ティレル、ザウバーの各マシンに乗り、通算208戦に出場し、表彰台5回、ポールポジションと最速ラップが各1回という記録を残した。

リタイア率が高かったことでも知られ、持ち前の激しいドライビングから「壊し屋」の異名を取った。
208戦で勝ち無しのF1記録は、今もなお破られていない。

モータースポーツを引退した後は、為替トレーダーとして成功を収めていたという。<了>

現代のF1ドライバーには無い独特のキャラクターを持った人でした。
レース直前、ダミーグリッドからコース脇へ行き、おもむろに立ちションしたり、突如白目を剝いてみたり、いきなり奇声を上げてみたりと、数多くの突飛な行動も見られたそうです。

また「壊し屋」と呼ばれ、クラッシュが多いドライバーとしても有名でした。
1981年のマクラーレン時代、当時最先端のカーボンファイバー(炭素繊維)モノコックを次々にお釈迦にし、ついにはチームからお払い箱にされた。
ただ、イタリアGP(モンツァ)で高速でクラッシュしたが、マシンから無傷で出てきて、カーボンモノコックの強度の高さを証明したというエピソードも残っています。

マールボロ(タバコ)のバックアップを得て(彼のお父さんがフィリップモリスの重役だった)いろんなチームを渡り歩きました。
上記に所属チームが列記されていますが、かなりの数です。

最も印象深いのは、1989年のカナダGPでの3位表彰台。
レース序盤から雨が降る生憎のコンディション。
そんな中、雨が強まった中盤は5~6位あたりを走行。
終盤には、上位の脱落と(持ち前の)果敢な攻めで、表彰台圏内へ。
そして、久しぶりの表彰台へ。

表彰台に上がるや、まるでチンパンジーのようにピョンピョンと飛び跳ねながら、小躍りしていた姿が、今でも鮮明に思い浮かびます。
どこかサルっぽい顔をしていて、バナナを食べる姿が、とても似合っていたのが印象的。

もちろんドライバーとしても、素晴らしいスピードを持っていました。
それだからこそ、競争が激しいF1界で、トータル15年も生き延びられたのです。
また円熟期の1991年、グリーンに彩られたマシン(ジョーダン191)で大活躍したのも、強く印象に残っています。

心より、ご冥福をお祈りいたします。

㎰、あの世で、同じイタリア出身のアルボレートと80年代のF1話でもしてるのかなぁ。