前回は大阪球場(大阪スタヂアム)のお話でしたが、今日は東京・南千住にあった東京球場(東京スタジアム)のお話です。
ここは開場からたった10年で閉鎖した「伝説の球場」です。
大毎・東京・ロッテオリオンズが本拠地にし、1970年には巨人と日本シリーズを戦いました。
昨年11月、この地を訪ね、かつての面影をなぞってきました。
※2013年11月24日ブログ(http://blog.goo.ne.jp/businessmanagement/e/b1274f73f8bb9e86ac81a5e450609776)参照
さて、その東京球場ですが…
毎年シーズン終了後には、球場の内野から外野席にかけて、一周450mの巨大なアイススケートリンクが出現(画像参照)しました。
なんて斬新なレイアウト(発想)でしょうか?
グランドの外野の位置にテント状のインドアリンクも作られ、スケート好きな(地元の)若者や子供たちが毎日のように通っていたようです。
当時、東京のアイススケートリンクではNGだったスピードスケートの靴もOKだったという。
近隣地域の人たちにスケート好きが多いのも、ここにスケートリンクを設置した大きな理由だったとか。
また、この他にも球場の南側の角にはバッティングセンター、西側の地下にはボーリング場とビリヤード場もあったようだ。
22日に紹介した大阪球場とは異なり、スポーツの発信基地の趣が強いが、これはこれでアリだと思う。
話は少し飛躍するが、2026年の冬季五輪に札幌市が招致表明するのが確実視されている。
その際の開会式・スケートリンクの有力候補が札幌ドームである。
もし招致に成功すれば、現在のドームを改修するだろう。
そして、可動式のスケートリンクを使えるように(設置)したら、東京球場のようなことも実現可能になるだろう。
そうすると、札幌におけるスケート普及の可能性や新たな観光の目玉にもなる。
過去の事例を検証し、現在に即した形で展開すれば、公共施設の有効活用や文化活動の支援・成熟、そして観光的なメリットにもつながると思われる。
あとは知恵と工夫、そして行動力次第なんですが…。
ここは開場からたった10年で閉鎖した「伝説の球場」です。
大毎・東京・ロッテオリオンズが本拠地にし、1970年には巨人と日本シリーズを戦いました。
昨年11月、この地を訪ね、かつての面影をなぞってきました。
※2013年11月24日ブログ(http://blog.goo.ne.jp/businessmanagement/e/b1274f73f8bb9e86ac81a5e450609776)参照
さて、その東京球場ですが…
毎年シーズン終了後には、球場の内野から外野席にかけて、一周450mの巨大なアイススケートリンクが出現(画像参照)しました。
なんて斬新なレイアウト(発想)でしょうか?
グランドの外野の位置にテント状のインドアリンクも作られ、スケート好きな(地元の)若者や子供たちが毎日のように通っていたようです。
当時、東京のアイススケートリンクではNGだったスピードスケートの靴もOKだったという。
近隣地域の人たちにスケート好きが多いのも、ここにスケートリンクを設置した大きな理由だったとか。
また、この他にも球場の南側の角にはバッティングセンター、西側の地下にはボーリング場とビリヤード場もあったようだ。
22日に紹介した大阪球場とは異なり、スポーツの発信基地の趣が強いが、これはこれでアリだと思う。
話は少し飛躍するが、2026年の冬季五輪に札幌市が招致表明するのが確実視されている。
その際の開会式・スケートリンクの有力候補が札幌ドームである。
もし招致に成功すれば、現在のドームを改修するだろう。
そして、可動式のスケートリンクを使えるように(設置)したら、東京球場のようなことも実現可能になるだろう。
そうすると、札幌におけるスケート普及の可能性や新たな観光の目玉にもなる。
過去の事例を検証し、現在に即した形で展開すれば、公共施設の有効活用や文化活動の支援・成熟、そして観光的なメリットにもつながると思われる。
あとは知恵と工夫、そして行動力次第なんですが…。