木工芸・漆・道具        

 木肌の美しさに惹かれ、指物の伝統技術と道具に魅せられて・・・・・ 木工芸 市川 (宇治市炭山)

あれから10年

2021-03-12 09:07:30 | 故郷信州にて
東日本大震災から10年。長いようであっという間に過ぎてしまった10年でした。
その当時のブログ記事を再掲し、大震災で犠牲になった皆さんと、亡くなった母を偲びたいと思います。

以下、2011年3月18日の記事
信じられないような大災害が起こって1週間が経ちました。

私にとりましても、この2週間はすべてが夢の中の出来事のように過ぎていった2週間でした。
2月の下旬より、肺炎を起こして入院していた母。
経過は比較的順調に推移していたものの、突然の容体悪化の連絡が入り、急遽長野へ帰省したのが先々週の金曜日。
病院に到着した時には意識不明の状態に陥っていました。
意識はないものの、血圧も安定し低レベルでの小康状態が数日続きました。その間に京都を往復。
3月というのに大雪の寒い月曜日。朝から次第に呼吸が弱くなり、昼過ぎに眠るように息を引き取りました。

母は大正9年生まれ。幼い頃実母と死に別れ、大正、昭和、平成と激動の時代をたくましくも慎ましやかに生き抜いてきました。
貧困の中で私達3人の子どもを愛情深く育て、子ども達が皆独立した35年前、夫(私の父)を亡くし、それ以来、信州の田舎で、私達家族の帰省と孫の成長を何よりの楽しみとしながら、一人で生活をしてきました。
十数年前、実の弟と、長女(私の姉)を突然の事故と病気で亡くした頃を境に認知症の症状が現れてきました。
次第に一人での生活が困難になり、この数年はグループホームでお世話になっていました。
息子として、生前の母にどれだけのことがしてあげられたのか考えると胸が痛みますが、永遠の眠りについた母の顔は、安らかで観音様のように美しく、90年の人生を清貧に生き抜いた母の、人生そのものを表しているかのようでした。
母にとっては、ささやかながらも満ち足りた人生だったのかもしれません。

葬儀を済ませ、諸々の後始末をしているさなか、あの未曾有の大災害が起こりました。
更に、追い打ちをかけるように長野県北部の大地震。

その日が来ることを覚悟し、まさに天寿を全うした母であっても、失った後の空虚感は大きなものでしたのに、今まで元気だった家族や友人を突然に失い、更に、生活すべてさえ失ってしまった被災者の皆さんの心中を察すると言葉が出てきません。
ただただ、頑張ってくださることを、心よりお祈りするしか術がありません。

京都へ戻り、遅れている仕事も少しずつ再開しましたが、ブログの再開にはもうしばらく時間がかかりそうです。
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