Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

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「who_am_I」について

2015-08-05 00:03:45 | お気に入りの歌・詩
「who_am_I」について

8がつ16日に発行される予定のデザイン誌「RAT」
私も1年半以上にわたり寄稿させていただいている雑誌なのだけれども。
今回、その記事の中に激しく共感するものがあったので、皆様にご紹介したくて。
そして考えていただきたくて。
備忘録しておきます。

良かったら一度、読んでみてください。


RAT18-テーマ「伝統」掲載記事
「who_am_I」みゆき匠さん
https://www.facebook.com/rat.member/photos/a.491367780897416.118147.490902067610654/1016482378385951/?type=1


それで、以下は感想ね。(^^;;
「外見が自分たちと同じなのにも関わらず、その行動が自分たちの予想を裏切られると、無意識レベルで自分に属さないものと感じる。」
「外見が日本人なのに、中身が違うと日本人として認められない。」
「認められないのだから、本人も確信が持てず、何かのきっかけで不安定になりうる。」

これ、すごくわかります。同じ障害なのに状態の違いにより苦しむ部分が違うために、逆に互いの溝が深かったり。普通に何でも出来るから、障害者扱いもされないけれど健常者とも認められず、どちらからも無意識に阻害されたり。娘のアイデンティティの確立のために、なんとか自信をもたせたくて、私が合気道、妻がピアノや習字などを習わせている親心。たぶん思う気持ちは一緒です。

日本人とアメリカ人のボーダーライン、障害者と健常者のボーダーライン。なんだか似たような問題をはらんでいるような気がします。
そして、その狭間で悩む親の姿や、互いに我が子のことを思うあまりに、対立したりする姿も似ています。

本人が全てをなくした気分になったとき、いわばどん底の状態で自己肯定感をもちうるかどうか。私はそのことが一番大切ではないかと思うのです。

我が子に対して、何かを決めるとき。悩み考え議論して、後悔をしないように。でも時期を逃さずに決断をして、その後は決して両親ともにぶれないでいること。
我が子の自己肯定感のために、最も必要ではないかと思うのはこのことです。

いつのまにか目立ってしまった子供達が、その目立つ要素以外で、自分を認めることに苦しんだり。あまりに個性が目立たなすぎる故に、それを皆にわかってもらうために苦しんだり。
あまりに自分に個性がないと嘆き、目立とうと必死にあがいてみたり。
自己肯定感が足りないと、そうした悪循環に陥りやすく、またその原因が自分や育った環境にあることに気がつきにくい。
そんな気がしています。

もう一度リンク。
よろしければ、感想などfacebookにコメントしてあげてくださいませ。(^O^)


RAT18-テーマ「伝統」掲載記事
コメント (4)
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