Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

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100年前には。

2015-08-25 00:01:23 | 仕事・社会について
100年前には…。
うつはうつであってうつ病ではなかった。
脅迫は執着や妄執という言葉で語られていた。
気分変調や躁うつ傾向な人など、どこにでも存在した。

なるほど。
たしかにそうかもしれない。

このところ、こうした精神疾患について、やたらと早期発見したがる動きがある。
でも、見つけてどうしたいんだろう。
見つかったから、本人が本当に生きやすくなるんだろうか。薬で抑えたから解決になるんだろうか。

診断名に一度甘えたら、戻って来にくい。
薬に一度頼ったら、ない状態に戻るのは大変なこと。
それなのに、早期診断をしようという。

個性や様々な状態を選択排除して、ある枠に収まる場合以外を「障害」で括る考え方。どうも気になる。どこかがおかしい気がする。
そうしたこと。考えたりする。

例えば。自己受容がうまくできていない人は、ただそれだけのことで派生的にいろんな状態になりうる。いろんな診断名がつきうる。
でも、結局は大元にある自己受容ができなかった原因を理解して、それを是としない限り根本的には改善しないし、診断名をつけても薬を飲んでも、大元の問題から目をそらしやすくなるだけなように思う。

「障害者」の括り。
こうした話を含めて、最近ものすごく多様化していて、同じ括りで議論などできるはずもない程の状況になってきている。
我が娘は身体障害者手帳を持つ。重度の一種。しかしながら大腿義足を履いてしまえば日常生活で困ることは少ない。

これはたしかに早期診断のおかげだ。
生まれてすぐに脛骨がほぼ全欠損しているのがわからなかったら、今のような環境に娘はないだろう。
でもさ。精神疾患は違うと思う。そこのところが一緒に議論されているようでならない。全く違うのにね。





コメント (2)
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