夢について
夢について、とてもわかりやすくてもっともだなと感じた意見があったので、書きとめておきたくて。備忘録。
各方面で活躍されている北野たけしさんの言葉である。
まぁ、最近発売された「新しい道徳」に出てくるんだけれども。(^^;;
「夢なんか追いかけないで、まず足元を見ろ」
「夢なんかより今を大事に生きることを教えろ」
「その上で、やりたいことのために今を犠牲にできる奴は、夢のために思う存分にやればいい」
なるほど。たしかに。
今を大切に。まずは生活できるありがたさを教えなきゃ。
それと同時に、やりたいと思えるかもしれないことをどれだけたくさん体験させてやれるか。
そんなことを考えさせられる。
子供の世界は家族に左右される。地域や子供時代の行動範囲、関係性を規定するのは親の選択。
その選択にこそ注力すべきで、子供の意思は尊重しつつも、堅実な生き方の素晴らしさを教えるとしましょう。
勉強になります。
以下、北野たけしさんの言葉より一部抜粋。
夢をかなえた、ごく一握りの人にスポットライトをあてて、夢を見ろと煽る。宝くじの宣伝と同じ程度の話なのに、学校の教師までが、子どもに夢を持てなんていっている。世の中に余裕があるから、そんなことをいっていられるのだ。
夢に向かって頑張っていた子どもが、挫折してフリーターになっても、なんとか喰っていける世の中だから、夢を追いかけろなんて無責任なことがいえる。「飢え」というものを体験した世代はもうほとんどいなくなった。
昔はそんなに甘くなかった。ちゃんとした職業に就けなければ、路頭に迷うんじゃないかって親は心配したものだし、実際そういうことはいくらでもあった。
そういう時代には、誰も夢を持てなんていわなかった。
というより、うっかり夢を語ろうものなら、親に叱られたものだ。
「医者になりたいだって? 何いってんだ。お前はバカだし、ウチにはカネがないんだから、なれるわけないじゃないか」
「画家になりたい? バカヤロウ! 絵描きで飯が喰えるわけがねえだろ」
頭をひっぱたかれて、それで終わりだ。
夢なんて追いかけてないで、足下を見ろというわけだ。
乱暴だけど、それが庶民の知恵だった。
今なら、子どもの可能性を潰す悪い親ってことになるのだろうか。
もしほんとうにその子に医者や画家になる意志と能力があるなら、そうやって頭を叩かれながらでも医者や画家になるだろう。ほんとうにやりたいことがあって頑張っている奴を否定するつもりはない。成功しようがしまいが、それがそいつのやりたいことであれば、思う存分にやればいい。だいたいそういう人間は、夢を持てなんていわれなくてもやり遂げる。
夢を追いかけるといえば聞こえはいいけれど、それはつまり輝ける明日のために今日を犠牲にするということだ。
ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、いつまで経ってもやってこないというのに。人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。
夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。
まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。
夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。
俺は心の底からそう思っている。
どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。
お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。
贅沢と幸福は別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。
そんなことは、誰でも知っている。
だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。
そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。
だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。
少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。
夢について、とてもわかりやすくてもっともだなと感じた意見があったので、書きとめておきたくて。備忘録。
各方面で活躍されている北野たけしさんの言葉である。
まぁ、最近発売された「新しい道徳」に出てくるんだけれども。(^^;;
「夢なんか追いかけないで、まず足元を見ろ」
「夢なんかより今を大事に生きることを教えろ」
「その上で、やりたいことのために今を犠牲にできる奴は、夢のために思う存分にやればいい」
なるほど。たしかに。
今を大切に。まずは生活できるありがたさを教えなきゃ。
それと同時に、やりたいと思えるかもしれないことをどれだけたくさん体験させてやれるか。
そんなことを考えさせられる。
子供の世界は家族に左右される。地域や子供時代の行動範囲、関係性を規定するのは親の選択。
その選択にこそ注力すべきで、子供の意思は尊重しつつも、堅実な生き方の素晴らしさを教えるとしましょう。
勉強になります。
以下、北野たけしさんの言葉より一部抜粋。
夢をかなえた、ごく一握りの人にスポットライトをあてて、夢を見ろと煽る。宝くじの宣伝と同じ程度の話なのに、学校の教師までが、子どもに夢を持てなんていっている。世の中に余裕があるから、そんなことをいっていられるのだ。
夢に向かって頑張っていた子どもが、挫折してフリーターになっても、なんとか喰っていける世の中だから、夢を追いかけろなんて無責任なことがいえる。「飢え」というものを体験した世代はもうほとんどいなくなった。
昔はそんなに甘くなかった。ちゃんとした職業に就けなければ、路頭に迷うんじゃないかって親は心配したものだし、実際そういうことはいくらでもあった。
そういう時代には、誰も夢を持てなんていわなかった。
というより、うっかり夢を語ろうものなら、親に叱られたものだ。
「医者になりたいだって? 何いってんだ。お前はバカだし、ウチにはカネがないんだから、なれるわけないじゃないか」
「画家になりたい? バカヤロウ! 絵描きで飯が喰えるわけがねえだろ」
頭をひっぱたかれて、それで終わりだ。
夢なんて追いかけてないで、足下を見ろというわけだ。
乱暴だけど、それが庶民の知恵だった。
今なら、子どもの可能性を潰す悪い親ってことになるのだろうか。
もしほんとうにその子に医者や画家になる意志と能力があるなら、そうやって頭を叩かれながらでも医者や画家になるだろう。ほんとうにやりたいことがあって頑張っている奴を否定するつもりはない。成功しようがしまいが、それがそいつのやりたいことであれば、思う存分にやればいい。だいたいそういう人間は、夢を持てなんていわれなくてもやり遂げる。
夢を追いかけるといえば聞こえはいいけれど、それはつまり輝ける明日のために今日を犠牲にするということだ。
ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、いつまで経ってもやってこないというのに。人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。
夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。
まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。
夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。
俺は心の底からそう思っている。
どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。
お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。
贅沢と幸福は別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。
そんなことは、誰でも知っている。
だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。
そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。
だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。
少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。