2月19日まで「書の至宝」展が開かれている。
上野の国立博物館に行ったのはX十年ぶり?だろうか、独身時代以来だから相当に縁の薄い建物に違いない。
大理石の正面玄関に足を踏み入れると、懐かしいあのときの自分に会ったような気がした。
朝日新聞の無料招待券を2枚貰ったので、女房と二人で来る予定だったが、昨日になって女房が風邪気味の兆候が出たことで、私一人で観覧することになった。
書については門外漢も甚だしく、草書にいたってはごく一部の文字が読める程度で、
読解力はゼロに近いけど、
時を越えて目の前に存在の息吹を感じる、何百年から千数百年も前の生きているその腕で書いた文字に触れるだけで、心踊る思いに浸ってしまう。
古の書の至宝に触れむとす千年邂逅の時をくぐりて
書聖「王義之」は名前だけは知っていたが、書体は知らなかった。書蹟は原物がひとつもなく拓墨と言う複製書が十点ほど残っているらしい。
そのうち代表的な三点が日本の所蔵となっている・・・と説明書きにあった。
自分なりに感じるところでは、王義之の字面は肉太で豊満、行儀のよい姿、書家が競って典範とした字体というが、私の理解の範疇外に当たる。
濃密に漢や宋の文物を取り入れたヤマト文化の草創期に、「空海」や「最澄」の活躍を偲ばせる肉筆は心に迫る思いがする。見つめていると「空海さん」「最澄さん」って呼びたくなってしまう。
万葉集写本の橘逸勢や源兼行のかな文字筆跡がいいな・・・良寛和尚のかな文字に至っては恋心の芽生え、と言ってもオーバーじゃない。
つくづく「書は気にあり」だなぁ、って思いました。能書よりも名書ですね。
理解は問題外の「気解」??のコンパルでした。
それにしても会場の混雑は?ぜんぜん前に進みません、足が棒になりました。