conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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不寛容の時代

2025-02-21 11:30:18 | 随想
プーチンがウクライナへ侵攻した理由は、『ウクライナは元々ロシアの領土』だから併合すべきだと言い、『ウクライナのネオナチを掃討する』ための戦いだ、と宣言した。単純推論のように見受けるプーチンの言説だが、2月20日(木)の朝日新聞『政治季評』を記した重田園江氏のコラムを要約すると、東ガリツィアと言われたリビウを含むウクライナ西部は、第二次大戦勃発時にソ連領となったが、民族主義運動が盛んになるにつれて、ウクライナ国家を樹立する志向が高まり、圧政を強いるソ連や長い歴史上苦しめてきたポーランドに反発して敵対し、独立をする為の協力者としてナチとの共闘を選んだ。それ故ナチのユダヤ人虐殺にも手を貸してきたのである。東ヨーロッパ、特にポーランドにはユダヤ人が多く移住していて、ポーランド国内に反ユダヤの感情が湧き起こると、東ガリツィアの人種混在の地域にもユダヤ人の迫害が起きた。ユダヤ人がポーランドの手先となって、税金や借金の取り立てに厳しかったからであるが、恐怖に駆られたユダヤ人は、聖書の示す『約束の地』に建国する望みを抱いてシオニスト運動を起こすようになる。人種混在の東欧には他者を排除する不寛容さがあって相互排除と増悪を増幅させてきた。ウクライナもイスラエルも建国の陰には民族主義運動があった、と言うのが重田氏のコラムの概要である。
この時点ではユダヤ人の『約束の地』が何処であるか決まっていなかったが、東欧諸国から迫害を受けたユダヤ人たちは欧州を離れ、中東のパレスチナに集結する。パレスチナは第2次大戦で敗戦国となったトルコの支配地であったが、敗戦後は帰属が定まっていないのを見てイギリスが奨めた地である。
パレスチナには既にパレスチナ人が住んでいる。大勢のユダヤ人がパレスチナに入るには、資金と力を要するが、そこで動いたのがロスチャイルドの資金とアメリカの戦力である。アラブとの対立の根はここにある。ユダヤ教に改宗した異民族がユダヤ人と称して中東に根を下ろした現実には悪寒を覚えるのだが、今まさに民族浄化を受けるパレスチナと国家存亡の危機にあるウクライナの民族闘争には、不寛容の時代を象徴する大国主義の干渉が見え隠れしている。

 
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1 コメント

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お元気でしたか? (MIXTUTU(真利雄))
2025-02-21 23:43:13
当gooブログへお越しいただきありがとうございます。
また、コメントをいただきありがとうございます。
Fc2ブログのリンクを検証していたところ、コンパルさんのブログを発見したので、再会することができました。
私は、OCN カフェ時代にお世話になった、北海道(札幌近郊在住)のミッツでございます。(当時、poyopoyo777のIDで参加していたかも?)
私も年金を受給される年齢になりました。
月日が経つのも早いものですね。(六十代半ばになりました。)
カフェ時代の当時の微かな記憶を思い出しながらコメントを記しています。
今後ともよろしくお願いいたします。
お元気でお過ごしください。
乱文にて失礼いたします。
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