寝苦しい8月を迎えてから、恒例とは言えさまざまな戦前戦後の回想がクローズアップされて来た。
御巣鷹の山腹に散った日航機事故からも、既に30年の時が流れている。
時々思い返すのだが、あの日の機影を奥多摩上空に見た、という思いが心をかすめているのだ。ちょうどあの時刻の夕方だったが、西空の方を眺めていると、何時もと違う航跡で旋回する機影が眼に入ったのだ。「おかしいな?」と何気なく思った記憶が蘇ってくるのである。当時は事件性があまりにも大きかったので(実際には事故であったのだが)、「おかしいな」の思いは封印されてきた。
しかし彼の惨状は心のどこかで、他人ごとには思えない衝撃が、自分の内に重くのしかかっていた。しかし彼の光景がまさしく日航機だという確信はいまだに持てないでいる。
そして広島、長崎である。広島に行ったことはないけれど、長崎には一度だけ行ったことがある。三菱造船所のドックでエンジン改修のための2週間の滞在だったが、スナック&バーのママさんと平和祈念像の前に立ったことが思い出される。すでに廃墟の面影はどこにも見当たらなかったが、平和の像の周りには明るい雰囲気が漂っていたのを覚えている。19歳の少年を案内してくれたママさんの心遣いが嬉しかった。
8月は原爆慰霊祭や終戦間際の時局などが報道されて、現在の政局などと重ねてオーバーラップするわけだが、先日放映されたNHK番組では、終戦に向けたオリジナルの玉音放送が流された。初めて聞く長い文体の敗戦宣告ではあったが、時局の説明が長々と続いた後、「国民にこれ以上の犠牲を強いるのは忍びない」元々戦争は望むところでなかった旨の言葉の後、『忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、』とくるのである。従来聞いたものは抜粋に他ならなかった。
軍部が抵抗する中で、音盤を極秘に持ち出す勇気と放送に至った苦労などは、ドラマ化された別枠で放映されていた。
そして今、安保法制である。対中国けん制の飛礫(つぶて)だとしても、如何ほどの実効力を伴うのかは疑わしい。外交で戦力を削ぐのが第一義ではないか。その才腕が無いところに国民の不幸がある。