「記憶の欠片」(2006/11/23記載) 2017/02/07 再編集
ある事件の記
私がインターネットを始めたのは2003年秋でした。事件は一年程経った頃に思わぬ処から湧き起こりました。思いもかけないOCNカフェでの中傷です。私のブログに足跡を残したブロガーに対して、お礼訪問したところに待っていたのは、心をえぐるような意図的な文章でした。私には覚えの無いことであり、疑いを晴らすために過去の経緯をブログに掲載したことがあります。後年「記憶の欠片」を載せましたが、これは事件によりOCNを退会した後の焼き増し版です(2006年)。初めて載せたのは2004~2005年だと思います。
ある時(2004年ごろ)私のブログに『893って知っているか?』と妙なことを書き込んだ人がいます。『○○と言えば私が誰だか解るでしょう』と個人名を添えていましたが、名乗るまでもなく彼だと言うことは、事前に察知していましたから驚きませんでした。彼は私が二十歳を過ぎた頃に知り合った旧知の仲だったのです。彼は続けてOCNブロガーのサークルを紹介していました。『平家集まれー』というサークルです。
紹介されたサークルを覗いてみたものの、秘密結社みたいなので中には入りませんでした。私は平家一門ではないし、囲いを作っているサークルに嫌悪感を抱いていたので、そのまま放置しておきました。旧知の友はこのサークルで何かの情報を得たのかも知れません。この事は次に展開する組織的行動へと繋がっていきます。時を同じくして問題が起きていました。こちらが核心とも言うべき大きな事件の発生源なのです。ネットを始めて間もない頃から、文芸サークルの俳句の会に投句してはオーナーの添削を受けていましたが、オーナーの甥という方からとんでもない知らせが入りました。私のアクセスによって突然オーナーのパソコンのデータが消滅したというのです。おまけに蓄積した俳句のデータが消えたことを苦に自殺したというのですから晴天のへきれきです。しかし後で解ったことですがオーナーは死んでいなかった。甥というのも嘘でオーナーその者でした。このオーナーと『893って知っているか?』と言った旧知の友は繋がっていたのです。
このような青天の霹靂とも言うべき、降って湧いた騒動がなぜ起きたのか?
思い起こしてみると二つのルートが浮かび上がります。一つ目のルートは、十数年前に美術工芸品を製造する「○○宝株式会社」に入社して一年ほど過ぎたときに、小包が送られてきたらしいこと。らしいというのは事実を確認していないからであり、現物を受け取っていないからです。住み込みで働いていた先輩のMiya咲さんから、「今朝の郵便小包受け取った?」と聞かれ、何のことか戸惑ったのを覚えています。思い当たる節がないので、「どんな?」と問い掛けると、「ううん、何でも無い」と打ち消してしまった。それがどの様な物なのか気にはなっていたが、『小包』であることにある種の危惧を抱いていました。Miya咲さんは一、二年の後に会社を辞めて実家で自殺してしまった。後年分かったことは経営者が開封して自分の物にしていたことである。本質的にはこの事が事件の核心にあって、組織が動いたのであろうと推察した。事件性があるとすればこの事以外に無いからである。
二つ目のルートは、このような事態の流れを、予見していた者がいたと言うことです。
事件の数年前に遡った時点で、ある特殊な交友関係において、私の将来性が漠然と予測され、暗黙の内に推定されていたと言うのが二つ目のルートである。特殊な交友関係と言うのは産まれながらの特殊能力とも言うべき、不可視的な透視力を持った霊感少年によって、大まかな私の将来象が推定されていたと見られることである。実際には間違った予測による事件性なのであって、指名手配の如き名前の拡散は迷惑この上もない。この霊感少年こそが、後の『893って知っているか?』とブログにコメントを残した旧知の友だったのである。旧友の不確実な情報をもとに、組織が動いたと観るのが自然です。そこに『平家集まれ!』のブログサークルが紛れ込んできたのだから筋がややこしくなる。この辺のことは拙書「改編 心象風景 全」の中に記してあるので興味のある方はご一読ください(NTTポータルサイトgooブログ、[ID:conparu2])。騒動が事件的に拡大して身辺に危険が及んだため、一連の経緯をブログに載せたのです。そうしなかったなら、息をしている今の自分はなかったでしょう。社会的後遺症の影響は、不名誉な風聞の撹拌によって今も肩身が狭く、窮屈に思うことがあります。