conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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生きるとは

2024-03-18 23:31:57 | 随想

「私たちはどう生きるべきか」最近新聞などの広告見出しに散見するが、どう生きるかとは生き方について処方したものであろうから各人各様、千差万別のてんでんばらばらに生きると言うことではないか。であれば各様の志向を一つの方向へ導く目的性がないと、万物の頂点に立つ霊長としての牽引力が整わない。精神性とか信仰とかの崇高な存在に向けて、昇華しうる作業を付与されているのが人間なのだから。
最近覚えた仏教の本来の教えでは、冠婚葬祭に集約されるお寺さんの行事ではなく、衆生の私たちに課されているのは、生きているうちに人との交わりの中で行動を起こしつつ、相関関係に起因する諸々の運命へと導く業因を知らされること。因果を知らされるにつれて、良い因果関係を作りなさいと言うもの。悪い因を作れば悪い果が出て煩わせ、悩ませて苦しみの人生を歩まなければならないからである。仏教の根幹は因果の道理(法則)そのものだと知らされた。良い行いをすれば良い結果が現れ、悪い結果が出る場合は悪い原因を作っていることになる。始末の悪いことに過去世で起因した悪業が、何代も経った現在の身に起こりうることである。目に見えない運命の綾が纏わりつくと、対象となる相手も知らずの内に近接しているので、ドラマチックな人生模様が織りなされるのである。時と場所を選ばずに展開されるのは悲喜劇そのもの。

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