鈴鹿市における“ 地域 ”の考え方について、何年も前に一般質問で取り上げたことがあります。その当時も、地域課の考えはとてもあいまいで、“ 地域 ”という言葉だけが都合よく使われていた印象があります。その頃からずっと鈴鹿における“ 地域 ”は、小学校区をベースに考えるべきと、地域づくりの担当には話しているのですが、そのことを正面から議論して、政策につなげる動きはなかなか見えません。
そうこうしているうちに期がかわり、地域予算枠などについてが一般質問で取り上げられたりしていますが、答弁を聞いていても、言葉が上滑りしている感はぬぐえません。
それは、行政内の“ 地域 ”という考えが、使う側の都合によって、実は違うものだからです。
公の視点から、鈴鹿における“ 地域 ”の考えを挙げてみます。
住民自治の観点から、単位自治会・地区別自治会長会・23の地区市民センターなどが。そこに、過去の経緯からの地域のつながりなどが考えられます。
学校の観点からは、小学校区・中学校区。
文化の観点から、公民館区・祭りなどのつながりなどが。
福祉の観点からは、地域包括支援センターの区割りなどが。
それぞれ考えることができます。
これらを地図上でレイヤーのように重ね合わせれば、重なりの多いところに、生活と関係の深い“ 地域 ”を見ることができるでしょう。
また、子育てや子どもの成長という観点から考えると、徒歩で移動できる範囲で、少なくとも6年間は関係することになる小学校区は、高齢者はもちろん、子育て世代にとっても“ 地域 ”の基礎単位と考え、それを他の要素とどう関連づけるか、どのように整理するかという考え方もできます。
ともかく、このようなことは数年前から言っていることで、もし、このような考えでの整理を鈴鹿市が行うとすれば、時間を相当ロスしたといえます。もし、早期に取り組んでいたら、“ 地域 ”についての基本的な合意までたどり着けていたかもしれません。
私は、小学校区を“ 地域 ”の基本単位とすると鈴鹿市が方針を明確にし、他の要素をそれに関連づけていくべきだと考えています。
そうして住民自治を育てることが、鈴鹿にとって急務だと思います。
そうこうしているうちに期がかわり、地域予算枠などについてが一般質問で取り上げられたりしていますが、答弁を聞いていても、言葉が上滑りしている感はぬぐえません。
それは、行政内の“ 地域 ”という考えが、使う側の都合によって、実は違うものだからです。
公の視点から、鈴鹿における“ 地域 ”の考えを挙げてみます。
住民自治の観点から、単位自治会・地区別自治会長会・23の地区市民センターなどが。そこに、過去の経緯からの地域のつながりなどが考えられます。
学校の観点からは、小学校区・中学校区。
文化の観点から、公民館区・祭りなどのつながりなどが。
福祉の観点からは、地域包括支援センターの区割りなどが。
それぞれ考えることができます。
これらを地図上でレイヤーのように重ね合わせれば、重なりの多いところに、生活と関係の深い“ 地域 ”を見ることができるでしょう。
また、子育てや子どもの成長という観点から考えると、徒歩で移動できる範囲で、少なくとも6年間は関係することになる小学校区は、高齢者はもちろん、子育て世代にとっても“ 地域 ”の基礎単位と考え、それを他の要素とどう関連づけるか、どのように整理するかという考え方もできます。
ともかく、このようなことは数年前から言っていることで、もし、このような考えでの整理を鈴鹿市が行うとすれば、時間を相当ロスしたといえます。もし、早期に取り組んでいたら、“ 地域 ”についての基本的な合意までたどり着けていたかもしれません。
私は、小学校区を“ 地域 ”の基本単位とすると鈴鹿市が方針を明確にし、他の要素をそれに関連づけていくべきだと考えています。
そうして住民自治を育てることが、鈴鹿にとって急務だと思います。