Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

エッセイ822.果たせなかった夢

2025年01月25日 | field work

  1970年7月に撮影した画像だ。
 私は鉄ちゃんではないけど、鉄ちゃんに誘われて鉄道を撮りつつ、その背後にある街の面白さを発見した。それは後に私の関心が都市へと広がる下地になったかもしれない。
 そんな中で上野駅は、一人で撮影に出かけた。北海道や東北の地図をみて、いってみたい街が沢山ある。でも金がない。だから上野駅ぐらいにでかけて、まだ見ぬ土地の気分ぐらいは味わいたい。石川啄木も上野駅へ故郷の香りを嗅ぎに出かけたぐらいだから、当時の上野駅には東北や北海道の香りが混じっていたのかもしれない。
 1970年7月の時刻表サイトをみるとトップ画像は、背後に帰宅するサラリーマンがいるから、上りはつかり2号が17時37分に上野駅に到着した時の画像だろう。多分列車から降りてきた人達の会話には青森弁の空気が漂っていたかもしれない。
 実は、この画像右下にホームに座り談笑している旅人達がいる。夜になれば、こうした人達がさらに増えてホームに新聞紙を引き、酒などを飲んで故郷の言葉が飛び交っていただろう。夜行急行の津軽や十和田に乗る人達である。私は、そんな異境の空気を何故記録しなかったのだろうか。多分夕飯迄に帰ってこいと親から釘を刺されていたのかもしれない。
 2番目の画像は上りはつかり1号だ。撮影場所は日暮里駅付近の踏切だから13時25分に上野へ着く列車だ。もちろんしばしば床下から火を噴く事故が多発しとても青函連絡どころではなかった。なんでもキハ80系は最高速度100kmが5分しか出なかったという記事を読んだ。鉄道車両は情けないから背後にある下町の面白さに足をむける契機となった。
 そんな撮影にしても、旅に出たいなと思いながら、金がなく、機材もなく、そして決断がつかなかったのだろう。
 そんな時に「アルバイトをして往復の運賃を稼げばいいじゃん。それで夜行列車で青森へ行き、青森の街を散歩して、また夜行列車で帰ればいいじゃん。それだって立派な旅だよ」と、そんな素晴らしい知恵を授けてくれる人間が私のまわりにはいなかった。
 そんな思いで下りはつかり2号青森行きを鶯谷駅から撮影したのが最後のカット。上野を15時40分に出て常磐線を北上し、青森に0時10分に着き、青森港発0時30分の青函連絡船で函館へ4時20分に着くことは、予め調べた時刻表で知っていた。通り過ぎる列車を撮影しながら異境の土地への旅気分を重ねていた。今私が旅、旅とうるさいのも、若い頃の果たせなかった夢のためかもしれない。
 其の後仕事で頻繁に青森市を訪れることになった。すでに青函連絡船はなかった。だから旅は思い立ったが吉日なのであろう。


機材:Canon6L,50mm/F1.4,ネオパンSS.
コメント
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