

2019年初冬、厳寒期のニジマス釣り顛末 危険な接近遭遇

2019-12-7(土) 快晴 -12℃ 〜 最高気温 +4℃
朝 9:00起床。快晴だ。風もない。陽があたると暖かく感じるが、実際は 外気温は やっと+4℃ほど。風が吹いたりしたら体感温度は絶望的に下がるだろう。
とはいうものの、北見市内で窓から外をみるといかにもよく晴れて穏やかな日で近くの山には雪も見えず初冬とは思われない。
実際、12月というのに国道や北見市内は氷も雪もなくなって、旭川が -18℃ 積雪40cm で真冬状態など信じられない。
それでは 2019年最後の渓流釣りに行こうか、行くまいかとかなり悩む。
釣りにゆかずにやるべきことは山のようにあるので、それをやるべきか。
うだうだと悩みに悩んだ結果、午前11:30、近郊のM川上流へ冬のニジマス釣りに出かけることにした。
かみさんが見かねて、行け行け、オラオラ早く行け とけしかけたのが決め手になった。
自宅をでて30分。コンビニで買ったおにぎりを食べながら、追い越し禁止区間を異常にしっかりと制限速度をまもって走る車に、少しいらつきながらえんえんとついて走った。
追い越し禁止区間が終わったとたんに私は追い越しにかかったが、どっきり。ちょうど前方対抗車線で白い覆面パトが犠牲者の処理を終えて警告灯を車内にしまい動き出すところであった。
危ない。あぶない。ゆっくり走行していた車はこの覆面パトの存在をよく知っていたのでした。
白い覆面パトのナンバーを素早く暗記したが、笑いたくなるようなおふざけナンバーでした。
その覆面パトは私に目をつけたのか急ターンして、私の後方150mほどをどこまでもついて走るので、私は優良運転手になって走らざるを得なかった。
アスファルトが出て走りやすかった国道は、標高が少し上がると、たちまち恐ろしいブラックアイスバーン道路に豹変した。
日陰は危険で、ちょっと油断するとタイヤが滑り、冷や汗がどっと出る。
覆面パトの存在に関わりなく、ゆっくり運転で緊張しながら走る。
まわりの山はいつの間にか完全な冬景色。
橋から川を覗くと、あれま、川はどこも凍ってしまい川面が見えないところが多い。
いつのまにか白い覆面パトは消え、私は雪がつもった林道へと左折、すべって林道を踏み外さないよう慎重にゆっくり走る。

あたりは北見市内とは全然違って、もうしっかり冬だ。まいったな。

こなきゃこかったと強く後悔したが後の祭り、ここまできたらいくしかない。
ほどなく、M川水系支流、夏場はいつもニジマスが多い渓流へつき、釣り支度する。

車から降りると気温は下がってもうマイナス2度C。

無風だが、日陰のせいかギンギンに寒くてとても釣りどころではない感じだ。

川はほとんど氷結し、ところどころは川面が開いているといった状況でこんなのは、想像していなかったわけではないが釣りには絶望的な光景。

それでも夏場、ニジマスが多かったポイントをさぐって釣ると、15〜30cmのニジマスがパラパラかかった。





当たりは限りなくかすかで、釣ったというより釣れてきたという感じ。
あげたらニジマスが付いていたというのが正しい。




水温を測ると、なんとプラス1℃。 外気温は マイナス2℃。 こんな低水温でもニジマスは策餌する。





かろうじて水の中のほうが暖かいが、これではニジマスの活性がとても低いのは当然である。

ネットはたちまちカチンカチンに凍った。



しかしニジマスはニジマス。それなりにかなりの引きを堪能したが夏場と較べると比較にならないほど弱い。
素手を水に入れ、釣ったニジマスを撮影するのだが、あまりの寒さに耐えられなくなってきた。
手早く撮影させていただいたニジマスたちは丁寧にもとの場所にリリースしました。
かっては冬中、北海道各地の渓流をまわってオショロコマを撮影していたが、もうそんな気力は無くなっていることがわかり釣りは30分ほどで中止した。
実は、これまでの経験からこうなることはある程度承知の上で、悲しいサガで今日も出撃してきたのです。
結局、例年とおなじ経験を繰り返すこととなったというおろかな釣り行でした。

帰路、追い越し車線のあるところで、けっこうな速度で走る車がいて、ぼんやりとそれに付いて走っていたら、急にそいつが急ブレーキで減速したので私も反射的に急ブレーキ。
私はまったく気づかなかったが、はるか前方右手にレーダーパトカーがこちらを向いて待ちかまえていたのでした。
とたんに ステルスをキャッチしました、ぴぴぴぴぴぴ ときた。
私は常に優良ドライバー、パトカーの前を時速60Kmでゆっくり通過したのでした。
私にとってパトカーと危険遭遇するのは珍しいことで、ヒグマとの接近遭遇よりも遙かに稀なことですが、今日は、いき、帰り、二度に渡って遭遇しました。
結果論だが、今日の釣りは明らかに中止すべきであったと思います。

