オショロコマの森ブログ5

渓流の宝石オショロコマを軸に北海道の渓流魚たちと自然を美麗画像で紹介します、

湿原の渓流、ヤマベとアメマスとの雑交 F1 個体、 ヤマベ、アメマス、そして湿原の大オショロコマ

2012-08-31 20:19:40 | 渓流魚、蝶、自然
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湿原の渓流、ヤマベとアメマスとの雑交 F1 個体、
ヤマベ、アメマス、そして湿原の大オショロコマ

20XX年 7月 11日。 道東の湿原の渓流。ヤマベ釣りにでかけた。アメマスが次々とかかった。その半分ほどのヤマベが釣れた。オショロコマは最も少なくてやっと10匹ほどが釣れた。
  




20XX年7月11日。 この日、小型アメマスが入れ食い状態に釣れて、ヤマベ釣りの邪魔になることきわまりなかった。いろいろな色調斑紋のアメマスが次々と釣れて切りがなかった。せっせと撮影してすべてリリースした。この川は足下からすぐ深く、湿原のなかを屈曲蛇行しながらどんよりと流れ、川の水も濁りやすいので水中撮影が難しかった。心ならずも手持ち写真が多くなった。









アメマスとヤマベの雑交 F1 個体が釣れた。なんとなく不気味な魚だ。サバみたいな斑紋だ。




この渓流のヤマベたち。道東のヤマベの解禁日から はや 10日が過ぎたがこの渓流は釣り人が少なく、かなりのヤマベが残っていた。






湿原の渓流のオショロコマたち。







20XX年7月11日。道東の湿原の渓流の大オショロコマ♀。
この渓流にはこの年の10年前から通っているが明かに変化が見られる。当初はオショロコマが圧倒的に優勢であった。その後 ヤマベが増え、
最近はアメマスが大繁殖して 反面オショロコマが激減している。
ここのオショロコマは赤点紋理が細かく、♀は明るい色調で灰緑色調の体色になるのが大きな特徴だ。オショロコマはすべて撮影後リリースした。

この頃は、まだ渓流魚の写真撮影法に悪戦苦闘、試行錯誤していたころで、なんとか魚本来の斑紋、色調、形態を上手に表現しようともがいていた様子がよくわかります。やがて名機コニカデジカメKD500Zとの出会いがあり、水中で川底を背景に鮮明な渓流魚の姿態を容易に撮影できるようになるまでには、このあとさらに一年くらいを要しています。





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広大な植林地の渓流のニジマス

2012-08-30 18:19:49 | 渓流魚、蝶、自然
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2010-11-05(金) 晴れのち曇り 寒い
朝10時に北見市周辺の未調査渓流のニジマスを調べに出発。これらの渓流はすでに種々の理由で従来の自然が完全に破壊されて久しいが放流ニジマスが繁殖している可能性があった。最初にKN川へ入った。これはニジマス繁殖河川K川の支流だが、あまりにも水量少なく川も小規模であり、途中まで見てパス。次いで次の支流KW川へ入った。この日は植林地の伐採作業を行っておりまあまあのたまりもあるが魚信なくパス。最後に一番右のTRM川へ入った。ここは水量もあり入り口あたりのたまりにニジマス稚魚がいて一匹針かかりした。しかし その上流はなかなか良いたまりもあるのだが魚がいない。生体反応が何もない。かろうじてここぞというたまりに1匹ニジマス15cmがいた。ニジマスは肥える時期なのに、かなり痩せており、リリース。川は広大な植林地の中を屈曲蛇行しながら流れている。林道沿いに源流域まで上ってみたが全体的に渓流周囲の自然度が低い。今日まわった川はどれも回りの自然度が低く、造材をやっていたり植林まもない山や牧草地の中を流れており、魚が棲みたくなるような自然度の高い水域がなかった。ニジマスは釣りきられたのか、もともといないのか不明だが、要するに稚魚1匹 若魚1匹の貧果でがっかりであった。さしあたって今日は、この欲求不満を解消しなければならない。














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オショロコマと同居する秋の美麗ニジマス

2012-08-29 21:31:14 | 渓流魚、蝶、自然
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2010-10-1(金) 晴れ 23℃
ここではオショロコマとニジマスは同居しており、力関係は均衡している。この5-6年はどちらかが優勢という印象は無い。全般的に急流の水域なのでニジマス繁殖にはそれほど有利とは言えない環境だ。慎重に川を下って最初の虹鱒ポイントで妻が大型ニジマスをかけたが、急流に乗って走るのでどうにも寄せられない。しばらくやりとりをしていたがついにハリスを切られ逃げられた。そこでは私が別の30cmニジマス1匹釣った。その下のポイントで妻が25cmニジマス1匹を釣ったが今日はこれでおしまい。
続いて支流に入ったがここぞというたまりにもオショロコマが少ない。好たまりで妻がニジマス30cmをかけた。こんな小さな支流に良型ニジマスがいるとは驚きだ。オショロコマを追って登ったのだろうか。流れの緩やかな川底にきれいな小砂利の多いたまりがある。例年のごとく産卵に集まったと思われるオショロコマが10個体ほどゆらゆらやっていた。振り込んでもエサには見向きもしない。やがて私たちの人影で散ってしまった。

ヒオドシチョウ1個体を発見した。何とか撮影しようと接近するとすぐ舞い上がる。とうとう見失ってしまった。私は北見でヒオドシチョウを見たのは初めてだ。

























川を上がって車にもどり昼食。そのあと、NK川沿いの林道を登った。かなり登ってから最初のダムがありコンクリート三面張りだがダム下に良型オショロコマが10匹ほどいた。良い写真が撮れた。ダムから少し下るとよいたまりが2箇所ありそこでも良型オショロコマを10個体撮影。婚姻色できれいだ。♂が多く♀は1/4ほどである。 次に二つ目ダム下をダムの上から釣ったがオショロコマ4匹しかいなかった。やや下流によいたまりがありそこにいるのかもしれないが疲れてきたのでパス。さらに少し登って3つ目のダム下をダムの上から狙ったがダムが高すぎて釣り糸が水面に届かず中止。ここもやや下流に良いたまりがあった。2時30分だが、和子は疲れてしまい、ここで武装解除した。

夕食は 近くのゴマソバ屋へいってソバと寿司のセットを食べたが寿司は機械作りでネタ薄く、ソバはのびていた。まずかった。この店、もう行かない。 午後8時30分、疲れて寝た。



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黄色い腹、婚姻色のオショロコマ

2012-08-27 22:16:04 | 渓流魚、蝶、自然
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2010-10-1(金) 晴れ 23℃
穏やかな秋晴れの日だ。朝、無風。北見市近郊のオショロコマとニジマスが同居する渓流を見にいった。自宅から約50分走って、目的の渓流に到着。笹をかき分けて森の中をすすむと眼下に流れの強い渓流が見えてくる。斜面を下り始めたら左足がズルッと滑る。なんとウェーダー左足の滑り止めフェルトがはがれてしまい無くなっていた。これでは川歩き危険だが、いまさら引き返せず仕方ない。今日の渓流は本流だけあって川幅は広く水量は豊富、ごうごうと川の音が、それ以外の音を全部消してしまう。流れは速いが、ほどよいたまりも各所に見られる。オショロコマが少し釣れたが本流のせいか個体数はあまり多くない。産卵行動の時期が迫っている成魚♂は腹部が鮮やかな黄色で美しい。撮影させていただいたオショロコマたちは全て丁寧にもとの場所にリリースした。   次項に続く。




























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黄金色に輝く不思議な渓流に生息する美麗オショロコマ その弐

2012-08-26 08:43:47 | 渓流魚、蝶、自然
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2007年8月19日(日) 晴れ
小型であるがヒレ、腹の真っ赤な美麗オショロコマが次々と釣れ始めた。手早く50匹ほどを釣り撮影した。この一カ所のたまりにかなりの数のオショロコマがたまっていたのであった。ここに到達するまではほとんど魚がいなかった。ここのオショロコマはエラに線虫の一種が寄生している。狭い水域に密集して生活してきたせいだろうか。ヤマベ2年魚も釣れた。近隣の漁師さんの話ではこの川は天然のサケが上るようだが、天然サクラマスも登っているようだ。懸案のこの渓流でオショロコマが撮影できたことにより、私たちは知床半島羅臼側ほとんどの渓流でオショロコマを確認し、デジカメ撮影したことになる。 この日も撮影させていただいたオショロコマたちは全て丁寧にリリースした。




黄金色の川側に綺麗なオショロコマ。不思議な組み合わせでした。











この川ではせまいところに密集して生活しているせいか、線虫が寄生している個体が多く見られました。。









現在、知床の渓流はほとんどにダムがあるため、源流域の本来の産卵場までサケマスが遡上できるところは意外にも多くありません。それなのに何故知床では毎年大量のサケマス漁獲があるのでしょうか。すべては絶え間ない人工孵化放流によるものです。要するに畑に種をまいて、それを収穫しているのと同じです。これをあたかも大自然の営みとして報道紹介することがえんえんとおこなわれているのです。壮大な偽自然ですが、皆さん知ってか知らずか満足されているようなので、まあいいでしょうか。

ここはダムの類はないので今でも天然のサケマスが遡上するようで河口付近にはヤマベがみられました。漁師さんたちもここのサケは放流物ではなく天然ものだと一目置いているようでした。近年、この状況を改善しようと急ごしらえの魚道が短期間で造られ、それがまた種々の問題をおこしています。魚道工事に伴うダム周囲の自然大破壊、オショロコマ水カビ病、急にカラフトマスが遡上し、それを狙って民家付近にヒグマ出没など。






帰り際、知床の夕陽が綺麗でした。



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黄金色に輝く不思議な渓流に生息する美麗オショロコマ その壱

2012-08-25 09:59:43 | 渓流魚、蝶、自然
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2007年8月19日(日) 晴れ
これまで、なかなか入って行くのがおっくうであった懸案の知床のHM川へ入った。この日はいくつもの川で撮影をしたので心底疲れ切っていたが最後の気力をふりしぼってこの渓流を遡行してみたのだった。昨年も一応入渓したことがあったが、あまりに森がうっそうとしているのに気後れして怖くなり途中で引き返したためオショロコマの生息域に到達できず分布を確認出来なかった。川底は岩盤の滑川で浅い川を約30分ほど遡行すると右手に小さな支流があった。ふと足下を見ると川底が黄金色に輝いている。なんと、私たちは黄金の川を遡行していたのであった。川底に黄銅鉱の広範な鉱脈が露出しており、それで川底が黄金色に見えていたのであった。まわりは鬱蒼とした深い森が続き、いよいよヒグマに対する恐怖が最高潮に達した頃、やっとオショロコマのいそうなたまりが現れた。はたして、15-20cmの小型であるがヒレ、腹の真っ赤な美麗オショロコマが次々と釣れ始めた。


























なんと、川底がきらきらと黄金色に輝いて、まばゆいばかりです。 知床にこんな川があったとは。
   この項 続く。



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本邦最大、1m30cm 30kg のイトウの記録

2012-08-24 09:46:58 | イトウ
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本邦最大の1m30cm 30kg のイトウの記録
尻別川の大物イトウ釣りのエースとして高名であった山下重雄氏(北海道恵庭市在住)は釣り上げられたイトウとしては本邦最大級の記録を持つ。1986年(昭和61年)12月13日、12時30分に尻別川蘭越通称カミのトンカラでドジョウひき釣法で釣り上げられたのは体長130cm、30kgの産卵前の♀。推定年齢20歳以上。この巨大なイトウが釣りあげられた時の状況はいまだに神話のように語り継がれている。



1 m30cmのイトウと格闘中の貴重な写真。





体長1m30cm、30kgの産卵前の♀。推定年齢20歳以上の巨大なイトウを持つ山下重雄氏。


山下重雄氏は 1982年にもメーターオーバーの大物イトウを釣り上げている。
 




1982年11月27日。蘭越町尻別川にて。1m23cm、22Kg のイトウ。




 減少の一途をたどるイトウだが生息環境が比較的保全されている北海道北部ではいまだ健在だ。釣っても丁寧に放流する釣り人が増えている。

  沿岸部でサケ定置網に混獲されるイトウは従来は害魚としてすべて殺された。最近は海へ戻されるようになった。

  しかし最大の問題点はイトウの保護を叫びながら川の工事で生息地や産卵環境をどんどん破壊する矛盾がいまだ無批判に続いていることだ。産卵場所を奪われ、大きなイトウは釣れるが稚魚が少ない。稚魚がいなければそこのイトウは絶える。もう自然豊かな川を徹底的にいじるのはいい加減にしてほしい。先年、猿払川支流でイトウの自然産卵の障壁になっていた砂防ダムを猿払イトウの会が削岩機で削りイトウが上流の産卵場所にゆけるようにしたり、道東の自衛隊矢臼別演習場のイトウ産卵河川の巨大ダムにスリットを入れたのは快挙である。しかし魚道を作ればすべて解決するような単純なものではあるまい。各地でその地域固有のイトウを保護、育成しようという動きも活発である。各地域ごとのイトウを守る会が次々と結成された。よその地域のイトウ稚魚などを放流することに対しては批判的な意見が多くオショロコマと同様、私も反対である。

  本当にイトウを保護したいのならイトウ釣りを禁止すれば良いのではないかとのあまりにも単純な発想もある。一見矛盾するようだがイトウを最も愛し、その素晴らしさを本当の意味で理解できるのはイトウ釣り師たちであろう。釣りを禁止した場合、しっかりしたモニター制度が無い限り、誰も知らないうちにイトウがこの世から消えてしまっていたということにもなりかねない。イトウ釣りを禁止する場合、それだけではまったく逆効果で、必ず生息状況と川の環境保全状況をモニターし毎年公表するしっかりとした制度の確立が最低限の前提条件であろう。しかし、イトウ釣りのロマンが無くなれば、この魚に興味をしめす人はほとんどいなくなってしまうと思うし、それはとても怖いことだ。これはオショロコマの保護についても同じと言える。



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そう遠くない昔、北見市郊外の小さな川にイトウがたくさん泳いでいた。

2012-08-22 20:56:29 | イトウ
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そう遠くない昔、北見市郊外の小さな川にイトウがたくさん泳いでいた。北海道北見市に長谷川(ながたにかわ)というとても小さな川があった。北見市公園町の湧水がみなもとになっている。私の実家のすぐ横にあり、そこには川が氷結する冬期間以外はいつも大型イトウがたくさん泳いでいた。ヤマベも沢山いた。イトウを驚かさないようにそーつと川をのぞきこむとまるで連合艦隊みたいにイトウがずらりと並んでいるのが見えたものだ。時々、実家に帰った時にはよくイトウを見にいった。まだそのときから10年もたたないが、ある時、突然イトウは全滅し、その後この川もとうとう北見市から消えてしまった。








実はこの長谷川は私の実家の隣に住んでいた長谷川(はせがわ)さんが自宅の庭に作った人工の川で水源はこのあたりをボーリングすればいくらでも出てくる冷たい地下水だ。彼は趣味で長年イトウを飼っていた。息子さんが道北で大々的に土木工事をやっていた関係で、生きているイトウはいくらでも手に入った。最初は冬季間の越冬で苦労していたが、とうとう自宅の地下に大きなコンクリート製水槽を作りそこで沢山のイトウを越冬させるようになってから飼育が軌道にのった。ある時、水槽の水を少し抜いて水をきれいにしようとしているとき、急な来客があり、応対しているうちにすっかりそのことを忘れ、はっと思い出して地下にゆくと水槽の水は全部抜けてしまい、長年飼育してきたイトウはみんな死んでいた。意気消沈して長谷川さんはイトウの飼育を止めてしまった。こうして長谷川(ながたにかわ)はイトウとともに北見市から消えてしまった。 北見市留辺蘂町にある山の水族館にゆけば、今でも1mを越える巨大なイトウが群をなして大型水槽をゆうゆうと泳いでいる姿を間近に見ることができる。ここに示した写真はそこでイトウを驚かせないようにそーつと撮影したものです





この本は北見市の隣町の美幌町立病院の検査技師をされていた八巻正宣さんの渓流釣りの本です。白黒写真の本ですが私の愛読書でした。表紙はイトウの頭です。



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 かなやま湖の超大物イトウ 116 cm 22.5Kg 、胴まわり67 cm

2012-08-21 22:20:31 | イトウ
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 かなやま湖の超大物イトウ 116 cm 22.5Kg 、胴まわりはなんと67 cm 。
北海道南富良野のかなやま湖で1992年6月4日の午前零時30分にヒットしたイトウ。この湖の主ではないかとされている。この頃からかなやま湖では夜間に捕食活動が活発化するというイトウの習性にもとずいて夜釣りが行われていたことがわかる。体長116cm, 体重25Kg, 胴まわり67cm。20分のファイトの後、大きなランデングネットですくい上げた。釣り人は富良野市在住であった会社員坂下和則さん(当時43歳)。竿釣りではかなやま湖で記録された最大のイトウといわれる。このイトウは推定25歳とされている。イトウはこの大きさになるともう体長はあまり伸びずに、胴回りのみが同心円状に太くなる傾向があるようで、超大型イトウは最後はアザラシ様体型になってゆくようだ。












私もイトウは釣ったことがあるが小物ばかりでこんな大きなすごいイトウは見たこともない。道北の猿払川河口で婚姻色で下半身真っ赤なイトウがヒットし、15分ほどのやりとりで逃げられたのが最大級で 1mはあったと自分で確信している。このほか、モンゴル北部のセレンゲ川本流で大物イトウをヒットさせたが跳躍され、とうとう逃げられた。これも1mはあったと自分で確信している。逃がした魚は心のなかで、日々大きくなる。モンゴル北部では今でも1m50cmくらいのはよく釣れていて写真も見た。聞いた話だが1m70cmというのがあるそうだ。北海道でも大きなイトウの話は枚挙にいとまがない。このようにイトウは大きいをもってよしとするようだ。物証は無いが北海道では1937年、十勝川で2.1mのイトウが捕獲された記録が最大らしい。しかしアイヌの民話では鹿を飲み込んだアメマスまでいるのでやはり魚拓、剥製、写真など物証のある記録が貴重である。そのような意味でも、ここに示す、かなやま湖の超大物イトウ 116 cm 22.5Kg 、胴まわり67 cmの記録はきわめて貴重であろう。

  負け惜しみもあるが、どうやら私は本来大きな魚より小さな魚が好きらしい。年をとってきたらその傾向はさらに強く、最近では魚の大小は問題ではなくなった。オショロコマの森の小さな渓流で美しいオショロコマを見るのが最も好きになってしまった。



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 斜里川最後の超大物イトウ 1m27cm 17.5Kg 

2012-08-20 20:47:11 | イトウ
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 斜里川最後の超大物イトウ 1m27cm 17.5Kg 
私の自宅の近くの北見市の夕陽丘通りに、しゃれた喫茶店ブリッジがある。窓から大きなイトウの魚拓が見える。ここのご主人の土橋克彦さんは20歳から40歳までの20年間に道東・道北でイトウを少なくとも1000本以上は釣っている当時オホーツクNo.1のイトウ釣り師であった。今はイトウ釣りは現役を引退して海や湖のサクラマス釣りに時々でかけるくらいだ。この間、さすがの土橋さんも1mを越える大物は唯2匹しか釣っておらず、80-90cm台はともかく1mを越えるイトウがいかに少ないかがわかる。何度かイトウ釣りのお話をうかがったことがある。彼はまるでストーリーテラーだ。イトウ釣りの話は彼の口から湯水のように絶え間なく、際限なく湧き出てくる。語り口が巧みで味があり聞いていて飽きることがなくどんどん引き込まれる。毎回コーヒー1杯で2時間でも3時間でも貴重な体験談を聞かせてくれた。






若いころ、初めて川の主のような大きなイトウを釣った。1mを越える大物だ。リリースしようか、持ち帰るか迷ったが、結局持ち帰った。母親は川の主を殺したことを快く思わず何故川に戻さなかったのかと苦言を呈した。その後、土橋家には良くないことが相次ぎ、とうとう父親が死亡、兄も大病をした。イトウのたたりを恐れお寺で剥製にしたイトウの供養もしてもらった。しかし、剥製にカビまで生えてしまい、結局土橋さんはこのイトウを川に帰すことを決心した。イトウを釣った場所にゆき塩を撒き、酒を川にまいてそれからイトウの剥製をねんごろに川に流したという。




しかし大物イトウを釣った時の感激が忘れられず、その後ますますイトウ釣りにのめりこんだ。
1983年10月1日、32歳のとき、ついに斜里川で釣った大物イトウは1m10cmであった。釣ったイトウの多くはリリースしていたがこの大物は持ち帰り魚拓をとって剥製にした。いまもこのイトウの魚拓は喫茶店ブリッジに飾ってある。








本気でイトウを釣りたいと教えを請う釣り人には土橋さんはおしげもなくノウハウや釣り場を教えてくれるというので、沢山の釣り師がやってきた。土橋さんの教えを受けた釣り師たちは誇らしげに釣ったイトウの報告にくる。ある日、斜里川で釣り上げたという1m27cm、17.5kgの超大物イトウが喫茶店ブリッジに持ち込まれた。絶滅が叫ばれる斜里川のイトウだ。しかも斜里川では史上最大級の超大物だ。釣った方はリリースするか持ち帰るか相当迷ったに違いない。しかし、証拠がなければ大きなイトウを釣ったといっても誰も信用はしないだろう。結局、斜里川に2004年5月8日までこんな大きなイトウが生息していたという貴重な記録が残った。






2004年5月8日 に斜里川で釣り上げられた 1m27cm、17.5kgの超大物イトウ
       写真は喫茶店ブリッジ 土橋克彦氏 提供



PS.   2012年現在、斜里川水系にはイトウの産卵場所があり、毎年 複数つがいの産卵も確認されています。かっては豊富に棲息していたイトウはあまりにも個体数が減ってしまい、近年なんとか斜里川のイトウを守りたいという機運も強いため、斜里川で本格的にイトウを狙う釣り人はきわめて稀とおもいます。それでも、また聞きのまた聞きみたいな話で申し訳ないのですが、2012年5月に斜里川で1m30cmのイトウが釣れたが、ただちにリリースされたという噂をききました。もし本当ならこの時期のイトウは産卵行動のため遡上してきたか、産卵後の衰弱した個体が上流部のせまいところにいるところをあえなく捕獲されたものでしょう。イトウに関してはこの時期に捕獲するのは当面、固くひかえるべきとおもいます。ただ、これは証拠写真もなにもない単なるオホーツク界隈のうわさ話なので、聞き流していただければ幸いです。


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120cm 15Kg のイトウの記録 尻別川水系オサンナイ川 

2012-08-19 10:45:12 | イトウ
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120cm 15Kg のイトウの記録 尻別川水系オサンナイ川。
1992年6月6日。後志管内の蘭越町の尻別川支流オサンナイ川で捕獲された体長120cm、重さ15Kgのイトウ。同町の会社員であった三上善信さん(当時31歳)が釣りをしているとき浅瀬を泳いでいる巨大なイトウを発見。大格闘の末、素手で捕獲したもの。 もっと大きなイトウの話や記載は多々あるが証拠写真などが残る北海道産イトウ(Hucho perryi )としては相当に大きな個体とおもわれる。標津町ポー川史跡自然公園にも1963年10月5日に標津川で捕獲された120cm、体重22.5kg のイトウの魚拓がある。斜里町郷土博物館には斜里川産の1m23cmのイトウの剥製がある。
しばらくの間、1mを越えたイトウをこのブログに連続して記録しておきたいとおもいます。






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ヤマベとアメマスが群泳する、ある秋の渓流の思い出とその後の悲惨な悪夢。

2012-08-18 16:29:52 | 渓流魚、蝶、自然
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2004年11月6日(日)晴れ
 午前10時くらいに北見を出発し、近くの網走川水系の渓流にヤマベ、アメマスを見に出かけた。ここにはオショロコマは生息せずアメマスとヤマベしかいない。この時期、産卵行動のため登ってきた大型アメマスや、サクラマスを追って遡上してきた大型ヤマベが釣れることがある。産卵行動でキズだらけになったヤマベも少し尾ヒレが修復されて、多少綺麗になってくるころだ。林道へ入ってすぐから大きなたまりを探りながら釣っていったが小型アメマスばかりだ。今年は海から遡上してきた大型アメマスはいなかった。以前に巨大アメマスを釣ったおおたまりには小型アメマスが多数群れていた。ときどきシンコヤマメが釣れる。そこから上流にむかったが、いつもの大ヤマベのポイントでは果たしてまあまあのヤマベが一匹とクロンボウヤマベ一匹が釣れた。しかし、この2匹しかいないとはちょっと期待はずれであった。何本かの支流を探りながら上流に向かうにつれて、今度はたまりというたまりには小型ヤマベが多くなってきた。振り込むとワッと群がってくる。1-2年魚ヤマベや小型アメマスたちと遊びながら源流域まで遡行し、気が付くともう夕方になっていた。暗くなると北海道の渓流は危険だ。足もとが明るいうちに引き上げることにした。



























2006年10月17日
この日、この自然豊かであった渓流のヤマベ、アメマス、ハナカジカの多くが死んでしまった。美しかった渓流は汚染され岸辺は魚の死骸であふれ、目を覆う惨憺たる光景になった。死んだ渓流魚はエラに牛の糞尿に由来する微粒子などが付着し、悲惨な窒息死に至ったものである。この川の源流域の上部には美幌峠牧場振興公社が経営する広大な牛の放牧場が広がっている。この大間抜けの牧場の糞尿貯蔵タンクから牛の糞尿およそ370 トンが、この渓流に流れ出るという信じられない事故があったのだ。この日の午前8時ごろ、牧場の貯蓄タンクから汚水が流れているのを出社してきた職員が発見した。糞尿は、はるか下流の網走湖にまで達した。この川の水で原料のジャガ イモを洗っているでんぷん工場が操業停止に追い込まれ、糞尿で汚染された設備を洗浄するなどの対応に追われた。美幌町は対策本部を設置し、流出があったタンク周辺に土のうを積み、被害の拡大を防ぐ一方、美幌川や網走湖で水質検査を行ったという。その後の始末記は寡聞にしてほとんど知らない。

2007年7月3日。この川の下流域を釣ってみた。アメマスの稚魚とチビヤマベの当年魚が少しいたが、釣りの対象になるような渓流魚は完全に消えていた。渓流魚が事故前の状況に回復するにはしばらくかかりそうだ。一方、いったん壊滅した個体群が復活することは無いといった可能性も高い。いずれにしても様子を見てゆくしかないだろう。

 それにしても実に腹立たしい出来事だ。すべてはあっと言う間の出来事で、多くの人たちはこのとても良くありそうな事故について、もう済んだことと考えるに違いない。 渓流魚は無主物なのでおびただしい数の渓流魚を殺してしまった罪は問われることはないだろう。この責任は一体誰にあるのか、きっと例によってうやむやになるのだろうが、今後このようなドジ馬鹿事件は絶対おこさないように美幌峠牧場振興公社は二重三重四重に予防策を考えていただきたいと思う。この牧場が出来てから、この下流域の水系は雨が降るとすぐ泥水の濁流になる不健康な川になっている。それだけでも苦々しい思いをしている釣り人は多いと思うが、今回の事件はそれに追い打ちをかける形になっている。














PS    2012-8-17 その後、美幌川上流域の渓流魚はかなり回復しています。しかし事故からもう6年もたちましたが往年の面影はありません。
いったん、うんこまみれになってしまった美幌川からは、なんとなく足が遠のいてしまった釣り人は多いとおもいます。



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ウチダザリガニと放流サクラマス

2012-08-16 20:31:53 | ウチダザリガニ
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2010-9-11(土) 晴れ 
以前、阿寒湖で食べた茹でたウチダザリガニはとてもおいしかった。そこで、かねてより気になっていた北見市の富里ダムのウチダザリガニを採ってゆでて食べようということになり、みんなで我が家の近くにある富里ダムに出かけた。きっと腹一杯食べるほどのウチダザリガニは採れないだろうということでコンビニで昼食を買っていった。富里ダムに流入する砂防ダムのある川の落差こうで石や岩の間にかくれているウチダザリガニをスルメを釣り針に引っかけて誘い出しハサミでつかんだところをゆっくり上げて、素早くタモですくう方法で7-8cmから20cmまでのウチダザリガニ大小6匹採集。スルメに近寄るときやスルメをハサミで挟んで石の下に逃げ込む動作は意外と素早かった。



ハサミのつけ根に大きなよく目立つ白斑がありますが、これがウチダザリガニの特徴です。





まさにバルタン星人です。このハサミではさまれたら悲惨なことになりそう。


ニホンザリガニとげ一本、ウチダザリガニとげ三本 と歌に歌われていますが、ごらんのとおりウチダザリガニの頭には突起が3本あります。


ガスコンロと鍋で塩を少し入れてゆでて食べたが今日はゆでる時間がやや短かったせいか阿寒湖ほどはおいしくない。ウチダザリガニのカニ味噌は苦かった。要するに私たちの湯でかたが下手なのだ。




ザリガニがゆであがるのを待っているところ。



ゆであがりました。


残念ながら茹でるのが下手くそで阿寒湖ほどおいしくはできませんでした。 ゆずりあいながら 食べました。


砂防ダム下には富里ダムから遡上してきたサクラマスが多数産卵のため集結し、ひしめいていた。釣り人が一人きた。チビヤマベやチビ虹鱒がけっこう釣れるようだ。この渓流には脱皮したばかりのウチダザリガニもみられ、盛んに繁殖しているようだ。唯一の在来種フクドジョウが数匹見られた。大きな鯉がすぐそばを泳いでいて、なんとかこれを釣ろうとしたが当然無理であった。鯉のほか、富里ダムにはヘラブナも放流されている。昭和62年に完成した富里ダムには、鯉、ヘラブナ、ワカサギ、ニジマス、ヤマベ(サクラマス)とウチダザリガニ? 等が放されたが、これらのうち ウチダザリガニだけはその後、攻撃的外来種として差別悪党扱いされている。しかし、いまや完全に市民権を得てしまった外来種、本州でのアメリカザリガニと同様に、子供たちの遊び相手として富里ダムで最も人気があるのはウチダザリガニのようだ。ウチダザリガニ採りの網を持った親子ずれが喜々としてザリガニポイントへ走ってゆくのが見えた。ローズヒップが管理棟近くに美しい実をつけていた。 








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瀕死の駆逐艦天津風の救出

2012-08-15 21:55:23 | 渓流魚、蝶、自然
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2012年8月15日。今日は終戦記念日です。当初から降伏または敗戦記念日とはいわず、終戦記念日と呼んでいるのは、負け犬ながらの多少の意地でしょうか。私の父は、第二次大戦で予科練あがりの海軍航空兵として何度も戦闘に参加しました。カルカッタ爆撃で敵を撃破したり、英軍戦闘機ホーカーハリケーンを撃墜したり、米軍の戦闘爆撃機B-25ミッチェルとの空中戦で1時間におよぶ死闘の末撃退したり、空中戦などで被弾し3度も海に不時着したが奇跡的に生還したり、敵潜水艦攻撃でまっぷたつになって尾部のみで漂流中の駆逐艦天津風を苦難の末発見して乗員多数を救出するなど、時々戦争の話をするときの姿は私たち子供らにとって英雄そのものでした。ただ戦争は映画や小説とは違って実に悲惨なもので決して繰り返してはいけないと話していました。それにしてもこれら一連の戦争を指導した指導者たち?? の非人道的な無為無策無能ぶりに対する憤りは相当なもので、この点いつも言及しておりました。さて、現在の我が国の指導者達は、彼らに比べていかがなものなのでしょうか。

私は成人し、後に念のため海軍の戦闘記録を調べてみました。父の話は実際に記録に残っており感激したものでした。最後は神風特攻隊要員として九州鹿屋基地で待期中でしたが空襲で搭乗機を焼かれ 終戦を迎え、奇跡的に生き延びました。終戦記念日のブログ記事として父がもっとも誇らしく語っていた瀕死の駆逐艦天津風の救出につき、ここに記録しておきたいとおもいます。





当時の最新鋭駆逐艦天津風(あまつかぜ)。旧日本海軍・艦艇写真のデジタル着彩
Digitally Colorized Photos of old monochrome Vessels. For inspiration only.より引用


昭和19年1月11日、軽空母「千歳」と十戦隊の「雪風」そして「天津風」が、輸送船4隻を護衛して門司港を出港します。
ヒ三一船団と呼ばれるこの輸送船団は、連合艦隊の持つ軽空母と精鋭十戦隊の駆逐艦が参加した輸送部隊として、ある意味画期的な船団でした。
それまで輸送を軽視しがちであった連合艦隊が、海上護衛総隊の意見を容れて、例外的にタンカー船団の直接護衛に乗り出した初めての例だったからです。
船団に参加しているのはいずれも優秀なタンカーばかりで、既に枯渇の度を深めつつあった内地の燃料事情を好転すべく、シンガポールまで燃料を取りに行くという重要な使命を帯びていました。
門司港からシンガポールまで直行ルートをたどる船団は、「千歳」の搭載する九七艦攻による対潜哨戒の効き目か、米潜に襲撃されることなく南シナ海へと踏み込むことが出来ました。
1月16日の夕刻、その頼みの九七艦攻が使用できなくなった日没間際のことです。
「天津風」は10キロほど先に、浮上している敵潜を発見すると、直ちに増速、追い払いにかかります。
しかし十分に近づけないうちに米潜は潜航してしまったため、「天津風」は爆雷を落とすかどうか迷いました。
もし協同作戦中の米潜がいたら、「天津風」が深追いして船団を離れると船団が危険に陥ります。
「天津風」は取り敢えず威嚇投射を行って船団に引き返すことにして、米潜の潜航位置付近で右旋回をしました。
その直後、見張り員の悲痛な叫びが艦橋に響き渡ります。
「雷跡、左90度、近い!」
ですがその時にはもはや為す術はなく、魚雷は「天津風」の1番缶室付近に吸い込まれ、炸裂したのです。
「天津風」は1番煙突付近で両断され、艦首部はしばらく浮いていましたがやがて沈没、艦尾部も缶室の全てに浸水を見ましたが、辛うじて浮力を保つことに成功します。
艦首部に残された乗組員は、沈没が避け得なくなると艦尾部への脱出を試みましたが、荒れる夜の海にその多くが飲み込まれ、生存者は少ないものでした。
被雷による戦死者は、十六駆司令古川大佐以下76名を数えてしまいます。
艦尾部も機械室の隔壁が最後の防壁という状態で、決して安全な状況とは言い難く、素早い救援が必要でした。
ところが頼みの僚艦「雪風」は、船団に残された唯一の駆逐艦であるため、「天津風」の救援には来れませんでした。
ここから「天津風」の長い苦闘が始まったのです。
翌17日、運転の止まっていた機械が復旧、ポンプが生き返ったために「天津風」の状態はやや好転しました。
同時に後部電信室も使用可能になり、「天津風」は早速救援要請を打電します。
ところがチャートも暗号書も艦橋と共に流失していました。
暗号は生き残った通信士が応急暗号を暗記していたために事なきを得ましたが、困ったのは遭難位置が不明なことです。
艦に残された地図と言えば月刊「キング」付録の大東亜共栄圏の地図ただ1枚という有様で、しかし藁にもすがるような思いで「天津風」乗組員はこれを使って艦位を推定、位置を打電したのです。
すぐさま高雄通信所より、捜索のためにサイゴンの一式陸攻を差し向ける旨の回答がありました。
ほっと安堵する「天津風」乗組員でしたが、待てど暮らせど陸攻の姿は見えません。
やがて高雄通信所より「艦位は正しいか」との確認電。
「天津風」が自信がないと回答したところ、高雄通信所は一式陸攻が1日中捜索したが「天津風」を発見できなかったと言ってきました。
どうやら推定した艦位が大幅に狂っているようでしたが、「天津風」にはどうしようもありませんでした。
18日は天候悪化のため発進した捜索機は引き返し、19日、20日は終日悪天候で捜索機の発進もできませんでした。
21日には味方の復航船団が推測艦位付近を航過する旨の連絡があったのですが、水平線にマストの1本も発見できず、これも空振りに終わってしまいます。
22日も状況変化なし。
この間、「天津風」では食糧も尽き、乗組員の体力的な問題が表面化していました。
機械室の隔壁も補強してあるとは言えいつまで持つかわかりません。
23日、遂に田中艦長が無線波を各通信隊に方位測定してもらうことを決断します。
航行不能の「天津風」にとって電波を出すことは敵潜をおびき寄せかねない危険な賭けでしたが、状況好転の見込みがない以上、賭けに出ざるを得なかったのでしょう。
「天津風」は各通信隊に方位測定を依頼すると、中波を発信。
そして賭けに勝ったのです。
方位測定は成功し、直ちに捜索機が発進、23日の15時頃、待ちに待った捜索機の影が「天津風」乗組員の視界に入りました。
一式陸攻は疲れ切った「天津風」を元気づけるように何度も上空を旋回し、通信筒を投下して飛び去っていきました。
「天津風」乗組員がフカの泳ぐ海に必死の覚悟で飛び込み、何とか拾い上げた通信筒には、測定された艦位と、救援艦の手配が記されていました。
正確な艦位は推測艦位に比べなんと100浬もずれていたのです。

        HP 東江戸川工廠 駆逐艦天津風 より抜粋 引用

この天津風を発見したのが父の一式陸上攻撃機でした。父はいくら捜しても天津風が発見出来ないのは位地情報に大きな誤りがあると指摘しています。天津風が中波を発信して無線波を各通信隊に傍受してもらい新たに方位測定することを強く主張したようです。天津風の発見はここに一行で書かれているような簡単なものではありませんでした。父の話では当日は雲が厚く低くて発見は困難をきわめ、雲の下に降りるために命がけの超低空飛行を何度も繰り返し、まさに奇跡的に天津風を発見したとのことです。生き残った乗員を励ますため何度も何度も低く旋回したが、皆、ちぎれんばかりに手を振っていたのが印象的であったと話していました。あまり知られていないようですが当時の米軍は漂流中の日本兵を発見した場合は無抵抗であっても機銃掃射などで皆殺しにするのが常識でありましたから父は正に彼らの命の恩人と言えます。駆逐艦天津風は修理されて戦場に復帰し、その後まるで小説や映画にでもなりそうな数奇な運命をたどります。





  唯一残る父の海軍航空兵姿の写真。 格好良い、ひたすら格好いい写真だと思っています。





         晩年の父。享年88歳。子供3人。孫7人。ひ孫11人。立派な日本の男です。



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オホーツク晩秋の大ヤマベ

2012-08-14 21:58:01 | ヤマベ釣り
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2004年10月17日。常呂川水系の支流の支流の支流の上流。近くの川に大きなヤマベが来ているはずだ。
ちょっと前に大雨があって川はかなり増水し、あちこちの難所が遡上しやすくなり沢山のサクラマスが源流近くまで登っている。こんな年は大型ヤマベたちもサクラマスを追って本流から源流域へ上がってくるはずだ。この日はキノコ採りが不調だったのでやや欲求不満。帰りがけに大型ヤマベが来ていないか見にいった。





この渓流は年によって、シンコヤマベがたくさんいたりまったくいなかったりする。いないときはヤマベをまったくみかけないが、いるときは我が目をうたがうほどのおびただしい数がいる。かってはアメマスもいたが現在は絶滅している。ニジマスが放されたこともあるが消えた。オショロコマはまったく生息していない。




案の定、サクラマスを追って源流域に遡上してきた大ヤマベが次々に釣れた。すでに産卵行動は終わって放精後のホッチャレヤマベが多いが大きいだけあってさすがに強烈な引きだ。サクラマスを追って源流域に遡上してきたヤマベたち。2年魚もいれば3年魚もいる。普段はめったに見られない尺ヤマベもいるが尺ヤマベはみんなこれが最後の産卵行動だとおもう。普段は何にも魚のいない渓流に、今日はヤマベがあふれかえっている。










 岩の上に乗っけられてご主人の釣りを見ているプリンちゃん。











この時期のヤマベは食べてもおいしくない。せっせと撮影後、すべてリリースした。
心ならずも針を飲ませてしまった尺ヤマベ一匹は持ち帰って唐揚げにしたがやっぱり、あまりおいしくなかった。




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後日談。
 この年は相当数のサクラマスが常呂川の各支流に遡上して産卵も例年になく大規模に行われ
翌年、シンコヤマベが大量に釣れるのではないかと大いに期待された。しかし期待は裏切られそのような現象はまったく起こらなかった。サクラマスが産卵後、何度か見られた秋の大雨の大増水で、せっかくの産卵床がすべてきれいさっぱり流されてしまったからだと思う。自然はそんなに甘くない。


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