Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

広上淳一/N響

2021年05月27日 | 音楽
 広上淳一指揮N響の演奏会は、今年2月に亡くなった尾高惇忠(おたか・あつただ)(1944‐2021)の「交響曲~時の彼方へ~」(2011)をメインに据えたプログラム。N響は昨年来のコロナ禍で定期演奏会をすべてキャンセルし、毎月新たに演奏会を組んでいるので、かえってこのような臨機応変な対応ができたという面もあるだろう。

 プログラム全体を先にいうと、チャイコフスキー(マカリスター編)の「アンダンテ・カンタービレ」、サン・サーンスの「ヴァイオリン協奏曲第3番」(ヴァイオリン独奏はN響のゲスト・コンサートマスターの白井圭)そして尾高惇忠の「交響曲~時の彼方へ~」。サン・サーンスから尾高惇忠への流れはよいが、なぜ冒頭にチャイコフスキーが?という疑問が湧く。

 実際に聴いてみると、その「アンダンテ・カンタービレ」は、心優しい、夢見るような演奏で、ふと「これは尾高惇忠への追悼ではないか」と思った。広上淳一が師と仰ぐ尾高惇忠への、広上淳一の思いがこもった選曲であり、演奏だったのではないか、と。

 次のサン・サーンスの「ヴァイオリン協奏曲第3番」は名曲だし、普通に演奏会のプログラムに載る曲だが、今年はサン・サーンスの没後100年でもあるので(サン・サーンスの生年は1835年、没年は1921年)、その意味での選曲でもあったのか。そうだとすると、尾高惇忠への想いと重なる。

 白井圭の演奏は高い熱量を感じさせるものだった。アンコールで弾かれたドントという作曲家の「24の練習曲と奇想曲」からの第23曲も同様の演奏で、このような演奏家がコンサートマスターとしてN響と深くかかわると、N響の音が変わるかもしれないと思った。

 最後の尾高惇忠の「交響曲~時の彼方へ~」は、パワフルで、快い緊張感があり、広上淳一とN響の思いが直截に伝わる演奏だった。もしも故人の魂が浮遊して、この演奏を聴いたなら、さぞかし喜んだにちがいない‥。

 全体は3楽章からなり、演奏時間は約35分の堂々たる曲だ。印象的な箇所がいくつかあるが、まずは第1楽章冒頭と結尾のチェロのソロ。辻本玲の音が美しかった。第3楽章の最後には鐘が8回鳴らされる。その音が小さな音で、そっと鳴らされる。それがいかにも尾高惇忠らしい。慰霊とか平和とか、そんな大仰な鳴らし方ではない。だからこそ、わたしたちは耳を澄ます。なお、第3楽章に頻出するモチーフは、デュティユーの交響曲第2番「ル・ドゥブル」のモチーフに似ている。それは偶然だろうか。それとも尾高惇忠の、師デュティユーへの思いがこめられているのだろうか。
(2021.5.26.サントリーホール)

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