阪急嵐山線の初乗りは大阪の小学生としては定番と言える遠足での乗車となった。嵐山へ遠足に行ったのではなく嵐山から歩いて当時の国鉄嵯峨駅まで歩いて、山陰線で保津峡へ向かうというちょっと凝った遠足だった。保津峡の河原でお弁当を食べて楽しかったこともあるが、それよりも山陰線で滅多に乗れない国鉄のディーゼルカーに乗ったことが嬉しくて今でもよく覚えている。嵐山線は観光シーズンだったのかかなり混雑していたのでそのときの印象はあまりない。その後は嵐山方面へ行く時に乗ったり、鉄活動で京福などに乗ったついでに帰宅するのに乗ることが多かった。
嵐山線といえば、のちに嵯峨野エクスプレスというこじゃれた名前が付けられた嵐山急行の運転が思い出される。梅田~茨木市間だが、桜やもみじをあしらったヘッドマークを付けた急行に乗った記憶が蘇る。あの頃は2800系が運用の中心だったように思うが、嵯峨野エクスプレスになってからは3300系や5300系を中心に6連の7300系や8300系も運用されていたように思う。2001年のダイヤ改正で土休日も10分サイクル化されてしまい嵯峨野エクスプレスが廃止されてしまったのは嵐山線にとっては残念に思う。本線ダイヤはよくなったものの、行楽シーズンの輸送に関しては今一歩のイメージがある。次回改正では特急へより集中する傾向になるダイヤとなる。今一度嵐山直通の優等の復活を望みたいところだ。