JR信越本線は以前書いたように国鉄最後の日に謝恩フリーきっぷを使って大阪からきたぐにに乗って直江津から高崎まで下った時に乗っている。きたぐにで疲労困憊となった状態で、当時直江津始発があったあさまに乗ったが、3月末というのに妙高高原付近に雪があったのを覚えている。夢うつつの中を列車は走り続けていたのでその他についてはあまり覚えていない。碓氷峠通過はある程度覚えているが、機関車連結などは写真を撮ったかどうか覚えていない。撮っていてもほんとに今の使い捨てカメラよりもひどいインスタントカメラを持って行ってたので、ガタガタの写真しか残ってないはずだ。いまどきのくそがき鉄道少年はデジカメはおろか立派な一眼レフを持ち歩いたりしているが、私はそんな贅沢はさせて貰えなかった。
軽井沢で機関車交換を見ている間に荷物を置いていたにも関わらず席を取られてしまったようで、疲労困憊の身で高崎まで立ちん坊だったのを覚えている。横川で峠の釜飯を買って、上野へ着いてから食べたが、子供向きの駅弁とは言えず、大嫌いなシイタケがど~んと上に乗っかっているのを見てあまり食べずに立派な陶器の器を持って帰った。
学生時代にも碓氷峠は懐かしさもあって2回訪れている。1回目はムーンライトえちごで新潟まで行って、上越線で高崎まで引き返し、高崎から信越線で小諸まで行く時に通った。この時は丸っきり写真の趣味がなかったので、カメラは持ち歩いていたかもしれないが、機関車取替えなどのシーンを収めるなどという意識は全くなく、ただ見物していただけだった。
2回目は新幹線開業による廃止前に乗ろうと言うことで惜別も兼ねて乗りに行っている。この時は曲りなりに写真も撮っていたが、コンパクトカメラで適当に撮っているのとフィルムをケチっているので、現在デジカメでこれでもか!!というぐらい撮るようなことはなく、ほんと適当なところでシャッターを切っていただけだった。このときは信州ワイド周遊券がまだ残っている時代で、ご法度かもしれないが、範囲外となる軽井沢~横川間は別に乗車券を支払って乗っている。このため特急は贅沢なので、横川行きは臨時快速、戻りの軽井沢行きは普通に乗っている。臨時快速はどんな列車か失念したが、169系のムーンライト系列の車両だったように思う。このときもとりあえず峠の釜飯を食べたが、昔食べた時と変わらず大人になってもあまり好きな駅弁ではなかったと判明した。
信越本線の直江津~新潟間の初乗りは学生の時だった。初めて乗った時は鉄仲間と旅行した時で、ムーンライトえちご(当時はまだムーンライトだったはず)に乗るために長野を夕方に発って深夜新津に着いて、ムーンライトに乗り換えという強行軍だった。闇の中を走ったため風光明媚な青梅川付近などは闇の中だった。この後何度か信越本線に乗っているが、結構夜に乗ることが多く、昼間に乗ったことはない。朝か夕方に乗ることが多いのは大阪から来ると自然そうなってしまうということなのだろうか。青梅川付近で一度撮影をしたいと思うものの、大阪からの距離が距離だけになかなかそのためだけに行こうとは思わないのが実状だ。