EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

山陽電鉄本線

2007年02月06日 | 乗り鉄

031214san5006  山陽電鉄本線に初めて乗ったのは小学校1年ごろだったと思う。お決まりのように祖父母に連れられて姫路城見物に出かけた際に行きは117系シティーライナー、帰りは山陽+阪神に乗せてもらった。子鉄の私にとっては姫路城よりも行き帰りに電車に乗せてもらえる方が嬉しかったのは言うまでもない。

 この頃は学校で流行っていた牛乳キャップ集めも私の趣味となっており、阪急沿線に住んでいた私には世にも珍しい山陽牛乳なるものを売店で見つけ、コーヒー牛乳を飲んで、おまけに売店のおばちゃんにごみになるはずのキャップを貰ってコレクションの中に入れさせてもらった。

050528sanyohan8241  山陽電車は上の画像のような5000系はまだ走っておらず、今とは違う塗り分けの3000系特急に山陽姫路からなんでか高速長田まで乗った。山陽の印象はあまり残っていないが、短いトンネルがあったのと明石付近がまだ地上で路面電車のような雰囲気があったのは覚えている。なんでか降りた高速長田で阪急に乗り換える予定だったが、私がなんでか阪神に乗りたいといったので阪神特急に乗せてもらって梅田へ出たのを覚えている。さらによく覚えているのは阪神特急よりも先に来た阪急特急・・・その頃は阪急も当然のように須磨浦公園まで乗り入れていた・・・が見事にオーバーランしたことだ。今ではオーバーランと言えばJR西の代名詞・・・のようなものだが、昔は阪急もしていたのだなと懐かしく?思う。

060816sanyo3078_1  初乗り以後山陽に乗ったのはあまり定かではないが、学生時代にJRの乗り潰しがてら姫路を訪れた時まで乗っていないはずだ。それ以降は直通特急運転開始直後に試し乗りをしたり、ホームページを開くようになってからは何度も撮り鉄や乗り鉄のついでに乗っている。乗るたびに明石以東と明石以西での走りの差異に毎度驚かされるが、明石以西でがんばっているのだから、もう少し明石以東の走りもなんとかならんものかと思う。山陽の改善策は評論家などのセミプロをはじめ、ファンの間で出しつくされた感じがするが、どの案も現実的なものであっても、画期的な改善策というものはない。全区間に渡って並行する新快速に対抗するのは並大抵ではない。今のままでは衰退していく一方だ。阪神とうまく連携して、難波延伸線の有効活用、近鉄特急の乗り入れ、近鉄特急を範にとったデラックス特急の導入など何とか知恵を絞って新快速に一泡食わせて欲しいものだ。