EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR琵琶湖線

2007年02月17日 | JR西日本

061009biwako2235  JR琵琶湖線に初めて乗ったのは中学時代に遠乗りした時だった。当時はお金を模型に費やすことが多かったので、遠乗りなどは滅多にしなかったし、したとしても大回り乗車だった。JR琵琶湖線は現在では大回り乗車の範囲内に入っているが、当時は入っていなかった。そのため米原までの往復を正規料金支払って乗るという贅沢をした。中学生にしては大出費で痛かったが、それでも221系新快速に乗れるという最大級の贅沢ができたので、大満足して帰ってこれた記憶がある。当然米原までずっと被りつきで221系を堪能して、帰りは今では考えられない117系快速に乗った。当時は221系に新快速、それによって余ってきた117系を快速に使う傾向があり、8両編成の117系も登場していた。ちょうどその頃は117系新快速も見飽きた時期だったので、白地に青文字で快速のヘッドマークを掲げた117系は逆に新鮮だった。

060610biwakoef6616  琵琶湖線が大回り乗車の範囲に入ったのはずっと後の話なので、初乗り以降琵琶湖線に乗ることはしばらくなかった。学生になって、18きっぷで遠乗りするようになって東海道中膝栗毛を繰り返すようになって琵琶湖線を度々利用することになった。学生時代は大抵夏に活動することが多く、冬はあまり活動したことがなかったので琵琶湖線で雪景色を見たのはごくごく最近になってからだ。名古屋東京方面へ行く時には基本的に東海道線経由を利用していたが、稀に草津から草津線~関西線のルートも使っていた。私が学生の頃はまだ米原以東が毎時1本しか電車がなく、4連ひどいときは3連の113系が走る完全なるローカル線だったので、18シーズンはひどい混みようだった。だから草津線経由を使ったりしていたが、こちらも草津線で座れても関西線はキハ120の単行か2連運転で柘植からは座ることはできなかったので、同じようなものだった。今では米原以東が30分毎に増発され、さらに4連以上での運転ばかりになったので、以前ほど米原での席取り合戦は見られなくなっている。逆に琵琶湖線の8連の新快速は北陸方面からの流入が増えてきて、座りづらくなっているのではないかと思うほどだ。