大阪市交堺筋線の初乗りはご多分に洩れず幼少の頃に天王寺動物園へ行く際である。当時は天王寺動物園への最寄り駅動物園前が終点で、動物園前行き普通が京都線高槻市、千里線北千里から運転されていた。阪急沿線で育った私は写真のような天神橋筋六丁目発着の普通よりも高槻市発着の普通に馴染みを感じているので、天六発着の普通を初めて見たときには少々感動した。堺筋線には天王寺動物園へ行く度に何度もお世話になっているが、私の幼少の頃の堺筋線と言えば、市交は60系、阪急は堺筋急行に5300系が運用される以外は全て3300系が運用されており、あまり面白みに欠ける路線だった。堺筋線の車両運用が変わったのは阪急京都線にとって未だエポックメイキング的なダイヤ改正として語り継がれている平成元年12月のダイヤ改正ごろからだったと思う。当時中学生だった私はあまり阪急に興味がなかったが、高校になってもう一度阪急に興味を持ち出し、阪急のダイヤなどにも興味を持ち出すようになって堺筋線の変化などに驚いた記憶がある。新車の66系が投入され、大半の列車が8連化されて阪急車は当時8連で運転されていた急行に使用される6300系以外の全車種が使われるようになっていた。5300系のみならず7300系や8300系までが使用されていたのには正直驚いた。その後に天下茶屋まで延伸されて、しばらく乗る機会もなかったが、関空が開業して南海の天下茶屋駅が整備されてから、南海方面へ鉄活動をする時などに天下茶屋ルートをよく利用するようになった。
高校時代に駆け出しの頃の川島令三氏の本に阪急京都線はデータイムに堺筋線直通の快速急行を設定してJRに対抗すべきみたいなことが書かれていたのを読んで、このおっさんはアホかと思ったことがある。氏の考えでは堺筋線を活用してミナミや天王寺からのアクセスを改善して京阪間の輸送改善を行うというものであったが、よくこんな内容を書いて本が売れるものだと思った。氏の提案はころころと変わり、時には堺筋線内でも通過運転を行う特急の設定なども提案していたと思うが、相変わらずアホくさっと思いながら読んでいたりする。とは言いつつも堺筋特急や快速急行などの京阪間対抗案はともかく、現行ダイヤで遊休化している急行を目先を変えて堺筋急行にしてはどうかという考えは持っていたので川島氏の案に真っ向から反対するわけでもなかったのかなと思う。私のデータイム堺筋急行案も川島氏の堺筋快急案も実現することもなく今春のダイヤ改正で特急の淡路停車で堺筋問題には決着が付いた感じがする。ラッシュ時の堺筋急行と堺筋快急は堺筋準急へと格下げとなり、伝統の堺筋急行は姿を消す。緑の幕の準急が走るのはファンとしては楽しみだが、堺筋急行がなくなるのはやはり寂しいものだ。