近鉄大阪線に初めて乗ったのは七五三で熱田神宮に参拝した帰りにビスタカーに乗せて貰ったときだ。ビスタカー3がデビューした直後で、行きは生まれて初めて新幹線に乗せてもらい、名古屋では名鉄のパノラマカーに・・・乗せてもらうこともなくこちらは見ただけで終わったが、鉄三昧の七五三の締めにビスタカーに乗せてもらった。2階席を指定したのか、それとも当時の名阪特急は空いていたので、楽に席が取れたのかよくわからないが、2階建て車両初体験は新鮮だった。この時の印象が強かったので、後に鉄道模型を買ってもらう時に阪急6300系か近鉄30000系のどちらを買うかで非常に迷った記憶がある。結局阪急を買ってもらったが、今から考えるとどちらもそんなに好きでもない車両だったのに・・・他の選択肢はなかったのかなと思う。
30000系ビスタカーに乗った以降は近鉄に乗ることもなく、乗り鉄をするようになっても予算の都合で近鉄まで足を延ばすことはなかったが、学生になってなんでか毎日乗る羽目になってしまった。なんで毎日乗ることになったかは書けないが、久しぶりに近鉄に乗って驚いたのは鶴橋の駅の匂い・・・なんで朝から焼肉の匂いが・・・ビスタカーに乗った時は鶴橋で降りず難波まで直行したので、鶴橋初体験は学生になってからということになった。こんな駅阪急にはないというのがまず第1印象で、鶴橋で大阪線と難波線(奈良線)の電車の相互接続が行われていないのにもまた驚いた。驚きの連続はそれだけに終わらず休日には大阪線普通が真昼から布施で3本待避を食らうというのもあった。ラッシュ時じゃあるまいし、おまけに回送の待避を行う普通まであり、近鉄大阪線は特急が最優先という言葉を実体験により実感することができた。
驚いたと言えば“鮮魚列車”の存在にも度肝を抜かれた。阪急にはまずあり得ない列車で、予備知識もなく実物を見てしまったので、マルーン一色で塗られた車体を見て、近鉄にもまだ古い塗色の電車が残ってるんやなと思ってしまった。しかし、鶴橋などで車内を見ると大きな発泡スチロールなどが積み込まれ、行商のおばちゃんという感じの人しか乗っていないのを見てやっと専用列車であることに気づいた。阪急はおろか全国的にも珍しい専用電車であることを後になって知る。予備知識がないと新鮮な思いもできるが、間違った方向で物事を考えてしまうこともあるので、後で裏づけを取ることが重要だということも学んだ。これはインターネットの掲示板が隆盛を極める時代では一番重要なことでもある。いい加減な私はそれを怠りがちだ(^^;)
近鉄に毎日乗っているといっても乗る区間は知れたもので、山間部などへ本格的に乗車したと言えるのは学生時代に3・3・3フリーきっぷを使って名古屋を訪れた時ぐらいだろうか。以降撮影などで大阪線を訪れることも多いが、乗車回数は知れている。名阪ノンストップ特急アーバンライナーに乗った時は、ビスタカーに乗った時よりも感動したが、アーバンライナーも昔の勢いはない。アーバンライナーNEXTにも乗車したが、名阪特急復権というにはインパクトに欠ける印象だ。新幹線が隆盛を極め、近鉄特急の失速感が否めないが、近鉄はなんといっても特急が看板なんだから、起死回生の一発を放つ21000系のような車両の登場に期待したい。個人的にはビスタカー4の登場を心から期待したい。