学研都市線に初めて乗ったのは、学研都市線という名前などまだない片町線の時代だった。親戚が沿線に住んでいたので、たまに電車で訪問という形で初乗りは実現している。101系だか103系だかわからない電車が走っていたのを覚えているが、今から思えばまだまだ長閑な時代だったなと思う。
学研都市線はかつては片町線と呼ばれ・・・今でも正式には片町線だが・・・長尾~木津間は非電化だった。私が片町線と呼ばれる頃に乗ったのは幼少の頃のみで、木津~京橋間を通して乗ったのは大廻り乗車をするようになってからだ。その頃には長尾~木津間は電化されており、学研都市線の愛称も付いていた。大廻り乗車で乗車券は茨木から大阪までの乗車券で乗っていたので、京橋~片町間は乗っていない。以後何度か大廻り乗車で学研都市線に乗っているが、京橋~片町間にはいずれも乗っていない。その後東西線が開業して京橋~片町間は廃止されてしまったが、ついにこの区間に乗ることはなかった。だから正式には片町線の乗り潰しには成功していない。
最初に大廻りした時にはまだ学研都市線とは言え、103系が走り回る“国鉄色100%”の路線だった。木津から4両編成の103系快速に乗って、前方が見えにくいと不満に思いながらも先頭車に陣取って木津から京橋まで被りついた。木津発車時点では閑古鳥が鳴くというよりも泣くという感じだったが、長尾から先は徐々に乗客が増えていき、住道発車時点では昼間にも関わらずギュウギュウ詰めの超満員状態になっていた。日曜日だから混雑していたのか、4両編成で数少ない快速だから大混雑していたのかはわからないが、昼間からこんなに混雑しているのは問題だと思ったものだ。
2度目に大廻りした時には207系が投入されており、大半の電車が207系になっていた。快速は207系が優先的に使用されていたようで、木津から新しい電車207系に乗って、出来のよさに感動したものだ。とりわけシートの座り心地が国鉄~JRのそれと違い、阪急に近いものだったので“さすがは221系を造るような会社だけあってJR西日本もやるな!!”と思ったものだ。207系には感動したが、相変わらず快速は全線に渡って4両編成で運転されており、松井山手から走る普通が7両編成なのになんで快速は4両やねんとその点については不満を持って帰ったのを思い出す。
学研都市線にはその後も大廻り乗車や京阪交野線乗り潰しの帰りなどに乗ることがあるが、207系ばかりが走るファンには面白くない路線と化しているので、撮影対象としては私もあまり面白くないので、それほど足繁く通う路線ではなくなっている。しかし、207系は後に出た321系などより出来のいい車両だし、ダイヤ面でデータイムは後退した感はあるものの、快速が15分毎に走っているので、学研都市線はアーバンネットワークの中でも完成の域にある路線と言える。今後は外環状線が開業して、相互直通する予定だが、その時には321系を始め、多種多様な列車が走るようになる可能性が大きい。今のところ外環状線は放出~久宝寺間が先行開業する予定なので、外環状線電車はほとんどが学研都市線に直通するものと思われる。学研都市線、東西線ともデータイムは線路容量が足りているので増発の余地があるが、ラッシュ時はあまり線路容量に余裕はない。そのあたりどう振り分けていくか見ものだ。