EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR阪和線

2007年02月05日 | JR西日本

060617hanwa1135162  JR阪和線に初めて乗ったのは3歳か4歳の頃に親に白浜アドベンチャーワールドへ連れて行ってもらった時だ。当時はもちろん国鉄で、行きは特急くろしお、帰りは急行きのくにという黄金コンビを利用した。おそらく特急に乗ったのはこれが初めてで、それ以外で幼少の頃、小学校中学校の頃に特急に乗ったという記憶はほんの少ししかない。田舎がなく、遠出は全てクルマ移動という家庭で育ったので、田舎がある家庭が羨ましかった。今では家系のほとんどが関西で収まるのを都会人ということで誇りに思っている。

 初乗りの時はJR阪和線は通っただけで何も記憶には残っていない。帰りの急行きのくにも同様だが、行きのくろしおよりも帰りの急行きのくにに乗ったことの方がうれしかった記憶がある。今はそうでもないが、子供の頃の私は急行信者であった。急行の中でも関西のエース級と言える急行きのくに、急行立山の両列車は一番のお気に入りだった。

060617hanwa381b406_1   JR阪和線に本格的に乗ったと言えるのは、中学の時にふらふらと一人乗りを初めてからの話になる。中学の頃は貧乏だったので、大廻り乗車をして大和路線などに乗っていたが、当時は和歌山線が大都市近郊区間に入っておらず、大廻り乗車できなかった為、なかなか乗ることができなかった。阪和線に乗ったときは私鉄にあまり興味がなかったので、和歌山まで阪和線で往復するという芸のない乗り潰しをしていた。往復乗れば片道乗るよりも見えてくるものだが、悪いことに学生時代からたくさん乗ればいいという考えを持ってしまい、行きはJR、帰りは私鉄という片道乗りを基本にするようになってしまった。今でもその基本は貫かれているが、最近はじっくり乗る、じっくり撮る方がより効率的(もう一度行きたくなくなる)と思い、新規の乗り潰し路線はじっくり見て回っている。

060617hanwa223e804  阪和線は今でも短編成の快速が多いが、JR発足直後は車両増備なしで増発を行い、短編成の快速が走り回っていた為、昼間から混雑していた印象が強い。今ならファンが涎を垂らす113系の阪和色が走り回っていたが、輸送力不足の印象はあった。これが改善されるようになったのは関空が開港して関空快速が運転されるようになってからだろうか。関空開港当初は日根野止まりの快速が関空快速化された形で、阪和快速は113系のまま別立てで和歌山まで運転されていたが、関空輸送が思いのほか少なかったのと阪和間直行輸送の減少により、紀州路快速の設定という表向きは大幅に改善されたと思わせる処置をとりつつ、昔ながらの阪和快速(221系化されてはいるが)は60分毎に減便されてしまった。日根野以南は相変わらず短編成の快速が運転されているが、この区間はよほどでない限り混雑することはなくなっている。南海本線の衰退は阪和線以上と言えるが、阪和線もあまり他人事ではいえないぐらい阪和間の輸送は落ち込んでいるように思える。和歌山の地盤沈下は鉄道ではどうしようもできないが、旺盛な自動車交通に対抗する画期的な策が出てくることを期待したいものだ。