山陽網干線には2000年の年末に3DAYチケットを利用して乗りに行っている。山陽電鉄本線は既に幼少の頃に乗り潰していたし、直通特急が運転されるようになってから何度か乗り鉄をしているので、本線については馴染みがあった。しかし、網干線に乗ることはなく、飾磨の配線が昔本で見た時と変わっているのに驚いたぐらいだった。私が乗った時には網干線は既にワンマン化されており、姫路直通もなくなり、播磨のローカル私鉄というネーミングが似合う路線となっていた。幼少の頃本線を特急として颯爽と走っていた3000系が短い3連で、ワンマン運転をしている姿を見ると隔世の感を覚える。山陽と言えば、上半分クリーム色?に下半分は紺色の塗装が記憶に焼き付いているが、5000系は3000系アルミ車と似たような色具合になり、3000系もアイボリーをベースに赤帯を締める塗装に変わり、一昔前とは印象が全く異なる外装になっている。今の塗装は何となく典型的なローカル私鉄の印象を受け、かつては大手私鉄に次ぐ準大手私鉄と言われた山陽電鉄の名が泣くような気がしてならない。塗装だけでなく5000系などの造りを見ると直通してくる阪神車と比べて見劣りするところが多々あり、山陽の没落を感じさせる一面だ。
網干線乗り潰しに際して山陽網干からJR網干まで歩いていけるかと地図で下調べしてみたが、歩けるような距離ではなかったので、単純に網干線を行き来して、飾磨から本線で神戸方面へ向かい、新開地からさらに神鉄の乗り潰しに向かったのを思い出す。沿線は海側に新日鉄広畑の工場群が立ち並んでおり、鉄鋼業界が最盛期の頃には活況を呈していたと思われるが、今は見る影もなく、少々さびれた町並みが展開されるという沿線状況だった。工場の跡地には郊外型のスーパーができたりしていたが、典型的なクルマ社会と言われる播磨地区では山陽網干線の出る幕はないようだ。