JR加古川線は非電化時代に2回、電化後1回乗車している。非電化時代の最初に乗車した時は加古川線が大回り乗車コースに入っていない時代で、JR西日本が鉄道の日に発売していた西日本エリア内普通列車乗り放題の切符を利用して乗車した記憶がある。学生時代のことで、加古川から谷川へ抜けて、谷川から福知山線で尼崎へ出るベタなコースを辿った記憶がある。当然ながらその時の写真は一枚もない。学生時代は乗るだけでカメラはとりあえずコンパクトカメラを持ち歩いたりはしていたが、気が向かない限りは写真を撮ることはなかった。カメラ=鉄道マニアの典型というイメージがあって、学生時代は鉄道マニアでありながら鉄道マニアでないふりをしながら乗り鉄をしていた。今は撮り鉄優先という感じで、昔描いていた典型的な鉄道マニアの一種になっている。
加古川線の印象は加古川口では結構利用者がついており、厄神辺りまでは本数も多く、電化してアーバンネットワークに組み込めばそれなりにモノになるのでは?という印象を受けた。後に電化されてはいるが、電化前に減便や運休日の設定などがあり、アーバンネットワークに組み込まれるというような状態ではなくなっている。電化の目的も阪神大震災の教訓から迂回ルートの確保として電化されたようなもので、利用者が増加して輸送力増強を兼ねて電化されたわけではない。電化後にも1度訪問しているが、線路を傷めないための35km/h以下の速度制限や利用が多い厄神以遠への列車が単行運転されているなど、コストダウンしながら電化しているところが多々見られ、利用者としては理不尽なところもかなりたくさん残っている。車両面でも沿線自治体に資金力があった小浜線では125系化が図られ新型車両で統一されているが、加古川線は125系と103系が混用されている。厄神以遠への単行運用に125系を投入するため、厄神折り返しを中心に103系の運用が多い。本来であれば厄神以遠への列車は2両編成で運転して、輸送量が格段に落ちる西脇市で段落ちして、西脇市~谷川間で単行運転を行うべきだが、コスト優先のため車両数を増やさず利用者が多い加古川~厄神間でも単行運転を行っている。加古川~厄神間でも絶対数は知れているので単行のまま放置していると思われるが、125系は1-2配列の転換クロスシートのため、座席数も少なく必要以上に立ち客を出している感は否めない。103系が単行運転できれば一番いいが、それもできない話で、加古川~厄神間は今後も単行のまま放置される可能性が大きい。