JR予土線には学生時代に乗車している。学生生活最後に四国征伐に出かけた時だった。ムーンライト高知で四国に入り、午前中のうちに土佐くろしお鉄道中村・宿毛線を乗り潰して、午後から予土線に乗って宇和島~松山経由で高松へ出て、高松に泊まっている。土佐くろしお鉄道から予土線へ乗り換える時に、窪川で小1時間ほど時間があったので、駅近く(といってもかなり離れていたが)のスーパーで寿司を購入して、駅のベンチで食した。これが災いしたのかどうかわからないが、夜になって腹痛を起こし、次の日の予定を変更して牟岐線を征伐することができず、四国乗り潰しの野望は藻くずとなってしまった。
予土線は軽便鉄道並にひ弱な線路区間と鉄道建設公団が造った立派な高規格?の線路が混在する路線で、大半の区間はひ弱な線路が多かったので、非常に長い乗車時間だったのを思い出す。宇和島に着くころには日が暮れていたが、それ以上にへとへとでもう1度乗れと言われても即座に嫌だと答えるぐらい全線乗り通した後は疲労困憊だった。2度と乗るかと思いながらも、再度乗り直してしまうのが鉄の悲しきサガで、04年7月18日に今度は私鉄も含めた再度の四国征伐へ出かけた際に、乗り直しとして予土線にも乗車している。途中沿線を車中から撮影をしながらの道中だったが、途中でデジカメの調子が悪くなり、電源が入ったり入らなかったりしてしまい、デジカメの復旧に時間を費やして、道中の半ばまで乗った気がしない状態だった。前回に続き窪川側から乗ったが、四万十川沿いを行く沿線のハイライト区間をデジカメの不具合で見逃したという感じで、あまりいい思い出は残っていない。途中からは撮影を諦めて、眠りこけてしまい、前回の道中同様疲労困憊で宇和島に着いている。宇和島に着いてから、駅撮りをしたが、デジカメが快調に戻っていたのが幸いだったと言える。