EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

京阪石山坂本線

2007年12月13日 | 近畿

061009kei6195  京阪石山坂本線にはホームページを作成し始めてから初乗りを果たしている。京津線の地下鉄乗り入れ及び石山坂本線の昇圧前には乗車していないので、600形以前の古い車両には乗ったことがない。坂本~浜大津間は学生時代に地下鉄開業後にJR湖西線とセットで乗った記憶がある。京津線の時に学生時代はケチケチ生活を行っていたため私鉄にはあまり乗らなかったと書いたが、乗車したことを記録していないから曖昧になっているものの、学生時代に京津線にも乗っている。但し、地下鉄開業前には乗っていないということは変わらない。浜大津~石山寺間は乗らないまま放置したままになっており、ここは3DAYチケット(だったと思うが…)を利用してデジカメ購入後に初乗りしている。当時はまだ石山坂本線は15分毎の運転で、1本逃すと15分待ちとなるため、すぐに後続の電車で折り返した記憶があるが、今は石山寺~近江神宮前まで15分に2本の運転となっているので、石山方面はそう焦らずにじっくり撮影などができる。坂本まで行けば、苛ちな私は少々忙しない乗り鉄となる。ただ、石山方面にしても坂本方面にしてもJRとセットで乗ることが多く、往復石山坂本線に乗ることはほとんどない。往復乗ると時間がかかるため、JRでショートカットして時間を有効に使うという考えからそうしているのだが、裏を返せば石山坂本線がそれだけ遅いということもある。利用者からすれば石山坂本線を通しで乗る人はほとんどいないだろうからJRの駅までそれなりの時間で走ってくれればいいとも言えるだろう。ただ、京阪としてはそれでは面白くないだろうから、浜大津方面などへJRからの乗り換え客を取り込む意気込みが欲しいところだ。もっとも京阪神方面への人の流れは高速で走る新快速が頻繁運転しており、都心部では駐車などが困難なクルマより有利な面が多いが、郊外ではクルマの利便性は魅力的であり、浜大津あたりなら十分クルマを止められるところがあるので、JR~京阪の乗り換えを増やすのは難しいかもしれない。この辺りは行政といったいとなって大津市内の市街地でクルマの乗り入れの制限を行ったり、石山などに大規模なパーキングを設けて、中心部へは石山坂本線を利用するように仕向けていく施策(安易な考えではあるが)も必要なのかなと思う。


南海高師浜線

2007年12月12日 | 近畿

031206takashinohama22332  南海高師浜線はホームページを始めてから初乗りを果たしている。当方が作成しているホームページメインターミナル(EXPRESS)は当初近畿圏の鉄道のダイヤについて個人的に言及していこうということで、とりあえず個人的に興味があるJRの路線や京阪神の私鉄を中心にHPを展開していくつもりで作成を始めた。しかし、一つの路線を深く追及していくサイトは他になんぼでもあるという状況から、特定の路線に固執せず、浅く広く取り上げていく方向に転換した。ただ、手を広げ過ぎて手が回らず内容が浅薄になっているのは片腹痛いところだ。当初は南海を取り上げるにしても本線や高野線などの主要路線のみ取り上げようと思っていたが、他サイトではあまりスポットの当たらない支線も取り上げて、それを独自性の一つにしようということで、まずは近畿圏の私鉄の乗り潰しを始めて、それに伴い乗車したのが南海高師浜線だ。3DAYチケットの出始めの頃に乗車しており、当時はHPは始めたものの、デジカメはまだ持っていなかったので、コンパクトカメラを持って最低限の撮影をしている。この時は年末で、当時風邪をこじらせて入院してしまい、病み上がりの状態で、3DAYチケットの期限のぎりぎりで冬の冷たい雨に打たれながら南海の支線を乗り回したのを思い出す。高師浜線に乗った時は雨は強くなかったが、多奈川線、加太線と乗って行くうちに雨が強くなり、最後に乗った和歌山港線では土砂降り状態で、せっかく乗り入れた和歌山の秘境水軒では駅名板を撮影してさっさと車内に引き上げざるを得ない状態だった。

 その後デジカメを購入して、再度南海の支線の乗り直しにまた年末に訪れているが、この時も天候が悪く、高師浜線は何とか曇天模様の中乗車したが、相変わらず最後に乗車することになる和歌山港線に乗った時は前回と同じように土砂降りだった。和歌山港線には中間駅廃止前にも再度乗車しているが、この時も土砂降りだった。たまには和歌山方面に晴れた日に行きたいものだ。高師浜線には2度乗車したのみで、それ以降は乗っていない。羽衣では高師浜線と似たようなJRの支線である羽衣支線が乗り入れてきているが、どちらの路線も変化に乏しく、廃止されることはないだろうが、大きく変化することもなく走り続けていくだろう。


京阪京津線

2007年12月11日 | 近畿

041127kei8053  京阪京津線には地下鉄直通後になって漸く乗車している。純然たる路面電車風の電車が走っていた時代には残念ながら乗車していない。地下化前の三条京阪にも行ったことがなく、京都界隈で地上を走っていた京阪電車は想像すらできない状態だ。物心ついた時には地下に潜っていたので仕方ないが、京津線については学生時代などにふらふら出かければ乗るチャンスはあったはずだ。学生時代はとかくケチケチ生活を送っており、電車に乗るには定期券で事が済む範囲以外は興味があるところ以外乗らないというスタンスだったので、金がかかる私鉄より18で乗れるJRの乗り潰ししかせずに鉄活動していたので、残念ながら京津線に乗ることはなかった。

 地下鉄に直通して4両編成の電車が走るようになった京津線は一見発展したようにも見えるが、実際には赤字を増やしただけの事業と見る向きが多い。三条京阪方面への運賃は京都高速鉄道分の上乗せで実質的に値上げしており、電車の本数も15分毎に減り、京津線利用者としては三条京阪以西への直通と引き換えに、値上げと不便を強要された感がある。本数が減っても山科以東では4両編成は輸送力過剰であり、JRからの乗り換えで利用が増える山科以西は京阪から切り離されてしまったので、京阪にしても京都高速鉄道~京都市営地下鉄への乗り入れは踏んだり蹴ったりの事業だったと言える。京津線の苦境は今後も続いていくと思われるが、何らかの対策を練らなければ利用者はどんどん減っていくばかりだ。月並みではあるが、浜大津からの急行運転や石山、坂本方面への直通なども検討してほしいところだ。


JR桜島線

2007年12月10日 | 近畿

030720yumesaki103314  JR桜島線に乗ったのは、ごくごく最近で、乗り潰さねばと思いながらもいつでも乗れるという感覚から学生時代に乗ることはなく、ユニバーサルスタジオジャパンが開園する直前あたりに、ふらふらっと初乗りをした。桜島線と言えば、本で見た限りでは運河を走り、船が航行するため可動式の鉄橋があったように思ったが、USJ開園に向けて沿線周辺とともに桜島線も改良されて、そのような鉄橋は跡形もなく消えていた。当時はまだオレンジ色の103系6連が線内折り返し運転を行っていた。USJ開園後にはオリジナルの派手な塗装に変わるとは思ってもみなかったが、やっぱり103系のままかいっ!と突っ込んだ記憶がある。USJ開園による桜島線…線名も半ば改名されたかのようにゆめ咲線と呼ばれることが多くなっている…の利用者増加は開園前から明らかなところで、普通なら景気よく新車を入れてめでたく開業というところになるのだが、さすがは103系王国JR西日本!!新車投入の一大チャンスを逃してめでたく103系によるUSJ輸送を開始して、今でも103系が中心に運用されている。子供のころからあまり遊園地系統が好きではなかった私はまだUSJには足を踏み入れたことがないが、USJ開園後に“ゆめ咲線”へは足を運ぶ機会が多くなった。当然ながら撮影をしに訪れるのだが、目玉は681系が乗り入れてくるユニバーサルエクスプレスだ。これを目当てにカメラを持ったファンが訪れる光景は少ないながらも見られ、今までの桜島線にはなかった光景となっている。ユニバーサルエクスプレスも運転回数が非常に限られており、その分レア度が高くなって撮影者を少なからず惹きつけていると思われる。近年は環状線103系の半数が201系に置き換わっており、ゆめ咲線にも201系が乗り入れるようになり、撮影ファンとしては多種多様な車両が走り、楽しくなってきている。しかし、201系も言わば京阪神緩行からのお下がりで、環状線を含めいつまで経っても大阪の中心部を走る電車は中古のままとなっているのは残念だ。かつてホームページにも書いたことがあったが、USJへの輸送を行うゆめ咲線には大阪駅などから乗った時からUSJの気分を味わえるような造りの電車、現状の外観だけではなく、車内で液晶モニターなどで映画を流すなど工夫を凝らした電車を投入して欲しいものだ。


JR加古川線

2007年12月08日 | 近畿

071117kakogawa125122  JR加古川線は非電化時代に2回、電化後1回乗車している。非電化時代の最初に乗車した時は加古川線が大回り乗車コースに入っていない時代で、JR西日本が鉄道の日に発売していた西日本エリア内普通列車乗り放題の切符を利用して乗車した記憶がある。学生時代のことで、加古川から谷川へ抜けて、谷川から福知山線で尼崎へ出るベタなコースを辿った記憶がある。当然ながらその時の写真は一枚もない。学生時代は乗るだけでカメラはとりあえずコンパクトカメラを持ち歩いたりはしていたが、気が向かない限りは写真を撮ることはなかった。カメラ=鉄道マニアの典型というイメージがあって、学生時代は鉄道マニアでありながら鉄道マニアでないふりをしながら乗り鉄をしていた。今は撮り鉄優先という感じで、昔描いていた典型的な鉄道マニアの一種になっている。

011201kakogawa3  加古川線の印象は加古川口では結構利用者がついており、厄神辺りまでは本数も多く、電化してアーバンネットワークに組み込めばそれなりにモノになるのでは?という印象を受けた。後に電化されてはいるが、電化前に減便や運休日の設定などがあり、アーバンネットワークに組み込まれるというような状態ではなくなっている。電化の目的も阪神大震災の教訓から迂回ルートの確保として電化されたようなもので、利用者が増加して輸送力増強を兼ねて電化されたわけではない。電化後にも1度訪問しているが、線路を傷めないための35km/h以下の速度制限や利用が多い厄神以遠への列車が単行運転されているなど、コストダウンしながら電化しているところが多々見られ、利用者としては理不尽なところもかなりたくさん残っている。車両面でも沿線自治体に資金力があった小浜線では125系化が図られ新型車両で統一されているが、加古川線は125系と103系が混用されている。厄神以遠への単行運用に125系を投入するため、厄神折り返しを中心に103系の運用が多い。本来であれば厄神以遠への列車は2両編成で運転して、輸送量が格段に落ちる西脇市で段落ちして、西脇市~谷川間で単行運転を行うべきだが、コスト優先のため車両数を増やさず利用者が多い加古川~厄神間でも単行運転を行っている。加古川~厄神間でも絶対数は知れているので単行のまま放置していると思われるが、125系は1-2配列の転換クロスシートのため、座席数も少なく必要以上に立ち客を出している感は否めない。103系が単行運転できれば一番いいが、それもできない話で、加古川~厄神間は今後も単行のまま放置される可能性が大きい。


山陽網干線

2007年12月07日 | 近畿

031214san32102  山陽網干線には2000年の年末に3DAYチケットを利用して乗りに行っている。山陽電鉄本線は既に幼少の頃に乗り潰していたし、直通特急が運転されるようになってから何度か乗り鉄をしているので、本線については馴染みがあった。しかし、網干線に乗ることはなく、飾磨の配線が昔本で見た時と変わっているのに驚いたぐらいだった。私が乗った時には網干線は既にワンマン化されており、姫路直通もなくなり、播磨のローカル私鉄というネーミングが似合う路線となっていた。幼少の頃本線を特急として颯爽と走っていた3000系が短い3連で、ワンマン運転をしている姿を見ると隔世の感を覚える。山陽と言えば、上半分クリーム色?に下半分は紺色の塗装が記憶に焼き付いているが、5000系は3000系アルミ車と似たような色具合になり、3000系もアイボリーをベースに赤帯を締める塗装に変わり、一昔前とは印象が全く異なる外装になっている。今の塗装は何となく典型的なローカル私鉄の印象を受け、かつては大手私鉄に次ぐ準大手私鉄と言われた山陽電鉄の名が泣くような気がしてならない。塗装だけでなく5000系などの造りを見ると直通してくる阪神車と比べて見劣りするところが多々あり、山陽の没落を感じさせる一面だ。

 網干線乗り潰しに際して山陽網干からJR網干まで歩いていけるかと地図で下調べしてみたが、歩けるような距離ではなかったので、単純に網干線を行き来して、飾磨から本線で神戸方面へ向かい、新開地からさらに神鉄の乗り潰しに向かったのを思い出す。沿線は海側に新日鉄広畑の工場群が立ち並んでおり、鉄鋼業界が最盛期の頃には活況を呈していたと思われるが、今は見る影もなく、少々さびれた町並みが展開されるという沿線状況だった。工場の跡地には郊外型のスーパーができたりしていたが、典型的なクルマ社会と言われる播磨地区では山陽網干線の出る幕はないようだ。


京都市交烏丸線

2007年12月05日 | 近畿

040505kin3722kyoto1120  京都市交烏丸線に初めて乗ったのは幼少の頃だ。当ブログの最初の一筆となった阪急京都線で書いたが、まだ開業したての頃に祖父母に連れられて京都を訪れた時に四条から京都まで乗っている。京都出身の祖母にとっては市電に変わる足として京都市御自慢の?地下鉄にも乗せてやりたいということで四条から京都まで地下鉄に乗せてくれたのだろう。京都から梅小路まで歩いて蒸気機関車館へ行ったのは阪急京都線のところで書いたとおりだ。梅小路は前にも書いたとおりSLがそれほど好きではなかったので、好き好んで行ったことはない。それでも祖父母に連れられて小さい頃に2回行き、中学生になって友人が梅小路に行きたいということで半ば無理やり連れて行かれたことがあったので、都合3回行っている。それ以降は訪れていないが、最近はSL好きに変身してきているので、一度撮影がてら訪問してみたいと思っている。

 京都市交から話がずれたが、幼少のころに一度乗ったきりしばらく乗ることはなかった。学生時代にもちょろちょろ区間乗車した記憶はあるが、全線乗り通したというのは社会人になってからだ。竹田方面へは近鉄京都線に乗ったついでに、竹田から阪急との乗り換え駅である四条に出るのに何度か乗っていたが、四条以遠は乗る機会がなく、終点の国際会館まで乗ることはしばらくなかった。国際会館まで乗ったのは3DAYチケットが発売されるようになってからで、京津線などに乗った帰りについでに乗った記憶がある。国際会館まで踏み入れたのはこの1度きりで、あとは烏丸御池とか竹田方面で降りるのに利用しているだけだ。阪急沿線住民としては京都駅へ出るルートの一つと言えるが、四条から高い金を払って地下鉄に乗るぐらいなら、富田か高槻で乗り換えた方が安くつく(料金的には大して変わらんというかJRの方が高いかも?時間の節約にはなる)ということで、地下鉄に乗る機会は非常に少ない。

 近鉄との直通で直通急行を運転するようになり、烏丸線も変わったと言えば変わったが、肝心のラッシュ時に運転がないのは残念なところだ。今後はラッシュ時にも直通急行の設定を行い、勢いでは京都駅近辺に負けている四条通り近辺への利便性を図って、四条通りの再活性化の起爆剤となってほしいものだ。


JR太多線

2007年12月04日 | 東海

061229taita11117  JR太多線もJR武豊線同様にムーンライトながらに乗る前の行きがけの駄賃で乗車している。夕方過ぎのJR中央西線で多治見まで行き、多治見から太多線に乗って美濃太田に出て、美濃太田から岐阜へ戻り、東海道本線で名古屋へ戻り、同駅からムーンライトながらに乗る行程で乗り潰している。太多線のイメージはキハ11がちょこちょこ走るローカル線というものだったが、実際乗るとキハ47系統も運用されていたり、利用者も結構多かったりと名古屋、岐阜の郊外路線という印象に変わった。中央西線上にあるため、愛知県というイメージが強い多治見は実は岐阜県で、名古屋との結びつきが強いにしても、岐阜へ抜ける鉄道ルートとして太多線が活用されることはないのかと思う。キハ11では話にならないが、紀勢本線、参宮線、武豊線あたりを電化して、キハ75系をねん出して、これを太多線から岐阜方面へ抜ける快速に使用して、中央西線沿線から岐阜方面への速達サービスを提供すれば面白いのではないか?もっとも中央西線快速と東海道本線新快・快速との乗り継ぎの方が速ければ利用価値が半減する。設定するなら太多線内各駅、高山本線内は快速運転する列車にしなければならない。岐阜~美濃太田間の輸送力強化と同時に行えば面白いと思う…それ以前に紀勢本線、参宮線、武豊線の電化は難しいと思うが。これを本気でやるなら、太多線にキハ75系の後継を投入して、太多線のキハ11系を高山本線のキハ40系列の置き換えに利用するという玉突き転配とするのが妥当だろう。

 太多線にはその後もう1度乗車している。05年9月4日に名古屋地区の各線の乗り直しを兼ねて18きっぷで訪問している。伊勢鉄道などを乗り直して関西本線で名古屋へ出て、エキスポ輸送真っ盛りの中央西線で多治見まで行き、太多線に乗っている。多治見での乗り継ぎ時間が短く、あまりじっくり見物はしていないが、お得意の?車上を行いながら道中を楽しんだ。太多線にはキハ85系を使用したホームライナーが走っているが、関西からそれを目的に遠征するには時間と費用がかかり遠征の動機付けとして魅力に乏しいので、今後もお目にかかることはなさそうだ。時間と金に余裕があれば(たぶん都合が合えばしかない)太多線を走るホームライナーの撮影に沿線に出向きたいものだ。