「セブン」「ファイト・クラブ」の監督デヴィッド・フィンチャー、
「フォレスト・ガンプ 」の脚本エリック・ロス、
原作スコット・フィッツジェラルドと聞けば、観ない訳にはいきません。
80歳の身体で生まれ、年々若返っていく男ベンジャミンの人生と、その愛。
与えられた運命を恨むことなく、「今」を淡々と生きていく。
多くの出逢いと別れが、様々な形で彼を訪れる…
彼のその姿が切なくて、終盤、私はボロ泣きでした。
話の中に何度も出てくる逆時計、ハチドリ、ハリケーンなど、監督の暗喩を紐解くのもさることながら、彼の人生そのものに(いかに荒唐無稽であろうと)感動しないではいられないのです。今更ながら、生きるということを大事にしたくなります。
これがフィッツジェラルドの著作とは知りませんでした。
「華麗なるギャツビー」「夜はやさし」など、結構好きな作家なのに。
おかしいなと思って調べてみたら、日本ではまだ翻訳されていなかったのですね。
映画化に合わせて、今年になってから出版されたようです。
一体彼が書いた原作とはどんなものだう?と興味を抑えられずに、映画を観た後に買って、夕食前に読んでみました。
驚きました。
映画よりも、更に滅茶苦茶な話なのです。
例えば、映画ではベンジャミンは、皺くちゃの老人のような醜い赤ん坊として生まれ出るのですが
小説では、「70歳になろうかという老人」が生まれてきて、産院のベビーベッドでいきなり「あんたがわしの父さんかい?」と「かすれたしわがれ声で」父親に聞くのです。
映画のように、父親は驚嘆のあまりベンジャミンを捨てたりしないし、母親も死んだりしない。
彼は老人ホームの入り口に捨てられもしないし、養母クイニーも出てこないし、
子どもの時出逢って生涯の恋に落ちるディジーも出てこないし、刺青の船長も出てこない。
非常に淡々とした(薄っぺらともいう)、人を喰ったような短編なのです。
(もしかしたら深い人生哲学が込められているのに、私が読み取れないだけなのかもしれませんが…)
そんな短編から、よくもこれだけの感動的な映画を作り出せるものです。
☆4
「ベンジャミン・バトン」
「フォレスト・ガンプ 」の脚本エリック・ロス、
原作スコット・フィッツジェラルドと聞けば、観ない訳にはいきません。
80歳の身体で生まれ、年々若返っていく男ベンジャミンの人生と、その愛。
与えられた運命を恨むことなく、「今」を淡々と生きていく。
多くの出逢いと別れが、様々な形で彼を訪れる…
彼のその姿が切なくて、終盤、私はボロ泣きでした。
話の中に何度も出てくる逆時計、ハチドリ、ハリケーンなど、監督の暗喩を紐解くのもさることながら、彼の人生そのものに(いかに荒唐無稽であろうと)感動しないではいられないのです。今更ながら、生きるということを大事にしたくなります。
これがフィッツジェラルドの著作とは知りませんでした。
「華麗なるギャツビー」「夜はやさし」など、結構好きな作家なのに。
おかしいなと思って調べてみたら、日本ではまだ翻訳されていなかったのですね。
映画化に合わせて、今年になってから出版されたようです。
一体彼が書いた原作とはどんなものだう?と興味を抑えられずに、映画を観た後に買って、夕食前に読んでみました。
驚きました。
映画よりも、更に滅茶苦茶な話なのです。
例えば、映画ではベンジャミンは、皺くちゃの老人のような醜い赤ん坊として生まれ出るのですが
小説では、「70歳になろうかという老人」が生まれてきて、産院のベビーベッドでいきなり「あんたがわしの父さんかい?」と「かすれたしわがれ声で」父親に聞くのです。
映画のように、父親は驚嘆のあまりベンジャミンを捨てたりしないし、母親も死んだりしない。
彼は老人ホームの入り口に捨てられもしないし、養母クイニーも出てこないし、
子どもの時出逢って生涯の恋に落ちるディジーも出てこないし、刺青の船長も出てこない。
非常に淡々とした(薄っぺらともいう)、人を喰ったような短編なのです。
(もしかしたら深い人生哲学が込められているのに、私が読み取れないだけなのかもしれませんが…)
そんな短編から、よくもこれだけの感動的な映画を作り出せるものです。
☆4
「ベンジャミン・バトン」