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予想と随分違った作品でした。
鉄の女と呼ばれたサッチャー元英国首相の、栄光に満ちた政治人生を描いた映画と思いきや、
認知症を患った老女の回想シーンで話は進むのです。
とうに亡くなった夫デニスの幻想と対話する老女の表情は、
あくまでも悲しい。
一国の首相に登りつめたことで犠牲にしてきたものも多い。
おそらくは、家族をないがしろにもしてきたのであろう。
夫も、双子の子どもたちも。
そのことで自分を責め、亡き夫に問いかける。
「デニス、あなたは幸せだったの?」と。
オックスフォード大を出たとはいえ、小さな食料品店に生まれた娘が
あの階級社会の英国でどうやって首相を目指すようになったのか、
その背景に興味があったのですが、そこはさらりと描いてあっただけでした。
同じ年頃の女友達がお洒落して出かける頃にも、彼女はガリ勉と呼ばれながら
ひたすら勉強していたらしい。
初めての選挙、下院議員選に敗れた時、若かりしデニスにプロポーズされるのですが
その時の彼女の答えが奮っている。
「イエス。でも私は、お皿を洗うだけの女にはなりたくないの」
そしてデニスは、そういう君だから愛しているんだと答え、
めでたく二人は結ばれるのですが…
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首相だった頃の回想シーンも多いのですが
それよりも圧倒的に老女として彼女は登場するのです。
もっこりと丸まった背中、皺だらけの首筋、しみだらけの手。
動作もぎこちなく、そして絶えず幻想や幻聴に苦しむ姿。
過去の威厳に満ちたスピーチのシーンが重なると
その落差に胸が締め付けられます。
英国病に苦しんでいた経済を上向きにした輝かしい業績や
フォークランド紛争に勝利して大歓声に包まれるシーンも挿入されるのですが
華やかであればある程、今の惨めな姿との違いが浮き彫りにされてしまう。
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たった一つの救いは
終盤、年老いた彼女が自分一人飲んだお茶のカップを洗うシーン。
思うように動かない身体と震える手で、自分一人飲んだお茶のカップを静かに洗う。
静かな台所で、小鳥のさえずりや近所の子どもたちの遊ぶ声に
そっと耳を傾ける。
そこで時間は一瞬止まるのです。
そんなありふれた日常に、心が少し安まるように感じるのです。
「お皿を洗うだけの女になりたくない」と宣言した彼女が
そこでほんの少し救われるようになるとは、皮肉な話です。
原題は「The Iron Lady」。
その強い題名とは裏腹に、
一国の首相であろうと名もない人間であろうと
老いは平等に訪れるのだということを実感させられた映画だったのでした。
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」 http://ironlady.gaga.ne.jp/